東アジア文字考~漢字を巡る遥かなる旅 第12回 水間一太朗

文字から考える幸福①
日付: 2024年03月19日 13時02分

「㚔」と「幸」

漢字の『幸福』が意味するもの

人は誰しもが幸福を求めて生きている。その幸福とはいったいどのようなものなのだろうか。中国語でも韓国語でもベトナム語でも『幸福』という漢字の表記には変わりがない。『幸福』とは『幸』と『福』が合成された熟語である。まず最初に『幸』という漢字の意味するところを考えてみたい。
『幸』の漢字の成り立ちにはさまざまな通説がある。その一つに「辛いという字に一本線を入れると幸せになる」というものがある。これは人生訓話での例えであってもちろん漢字の原意ではない。
最も多く語られる説に「『幸』は『手枷』(てかせ)の意味であって、拘束された状態からの解放が即ち幸せなのだ」というものがある。この説は『幸』と『㚔』の字の混同によるものであり、梁で編纂された漢字字典『玉篇』によれば、すでに漢代にはこの二文字が混同されていたことが記されている。甲骨文字の『㚔』は『手枷』の意味であって、罪人を執(とら)えることを表す『執』(しつ)や、報復刑を表す『報』(ほう)の甲骨文字と同じであり同義である。この『㚔』の字が漢代には『幸』と同じになってしまったというのだ。
西暦一〇〇年頃にまとめられた説文解字の『幸』の項には、「字を屰(ぎゃく)と夭(よう)とに従う会意文字とする」とあり、白川静はこの説文解字の解説は間違いであるとし、「夭は夭死、屰に従うてその逆であるから、夭死を免れる意の会意とするのであるが、このように否定の意を加えた会意という造字法はなく、字は明らかに手械の象…」と、造字法の観点から間違いを指摘した。しかしこの時、「字は明らかに手械の象」と、『幸』と『㚔』を混同する間違いを記してしまった。白川静ほどの賢人が間違ってしまったので、今では『幸』の原意が『手枷』といわれるようになってしまったのである。

『幸』と『しあわせ』の違いとは

それでは『幸』の原意はどのようなものであったのだろうか。白川静は否定したが、説文解字の説を取ったとしても、現在の我々が考える『幸福』とはかなり違うものだと推測されるはずだ。『手枷説』でも『夭死回避説』でも大差はない。実はこの『幸』という字が楷書として独立したのはわずか数百年前のことにすぎない。使用頻度が著しく低かったのである。『執』や『報』という『㚔』の派生としての楷書は早くからあったにも拘らずである。また、違う視点から見てみれば、中国では全く正反対の字である『㚔』と『幸』が混同するほど『幸福』を体感する日常が少なかったとも考えられるであろう。
日本語と比較するとその違いは明瞭である。『幸』の訓読みには、『しあわ―せ』『さいわ―い』『みゆき』など多彩な言葉が当てられた。幸福の表現はバラエティーに富んでいたのである。
まず、『しあわせ』という言葉から考えてみよう。この『しあわせ』に最初に当てた漢字は『幸』ではなかった。なぜなら『幸』という漢字が『しあわせ』とは全く違うものであったことを当時の日本人が熟知していたからに他ならない。
奈良時代までの『しあわせ』は『為合わせ』と表記した。これは「私のすることを、誰かのために合わせる」という意味であり、当初この誰かとは「天」であった。古代の日本人の幸福とは、即ち、「神とひとつになること」であったのである。
鎌倉時代になると、その表記が『仕合わせ』と変化する。これは神以外の、人との関係にも重きが置かれるようになったことを意味する。即ち、「人と人とがうまくいくこと」が幸福となった。武道やスポーツで競うことを『試合』というが、当初は『仕合』といった。即ち『試合』の語源は『仕合わせ』であり『しあわせ』であったのである。(つづく)

水間 一太朗(みずま いちたろう)
アートプロデューサーとして、欧米各国、南米各国、モンゴル、マレーシア、台湾、中国、韓国、北韓等で美術展企画を担当。美術雑誌に連載多数。神社年鑑編集長。神道の成り立ちと東北アジア美術史に詳しい。


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