これが8番歌で熟田という名前が持つ意味だ。 悪人の首を切りなさいという斉明天皇の命令が、熟田津という名前の中に隠れて息をしていたのだ。また「津」は「渡し場」を意味する。万葉時代の人々は、死者の霊魂は渡し場から船に乗ってあの世に行くと信じていた。つまり熟田津とは、あの世へ行く船に乗る渡し場なのだ。固有名詞が郷歌を作った意図と一致しなければならないため、8番歌は、首を切り(剪)殺せという斉明天皇の命令に合うように解読せねばならないはずだ。
登 月 待者
昇る(登)月を待つように(待)しよう(者)。
万葉の歌人たちは、月があの世へ行く道を照らしてくれると信じていた。悪人の首は切られるはずだ。その魂はあの世に行くために月が昇るのを待つことになる。つまり、熟した黍の穂を鎌で切るように新羅王の首は切られ(剪)、あの世に送られるはずだ。
潮 毛可奈 比 沼
潮の満ち引きのように一斉に(比)沼に(押しかけよう)。
その日、渡し場は多くの兵士で混雑していた。倭国の首脳部は、熟田津に滞在し、兵士たちを再編成した後、船に乗せて出発させていた。沼とは韓半島の戦場を意味すると見るべきだ。「毛可奈」の3文字の解読は、今回は省略する。
今 者 許 藝 乞菜
いま(今)、さあ(者)、力の限り(許)武芸を奮うよう祈らねば(乞)なければ(菜)
倭国軍は遠からず戦いに臨むことになる。その時、力の限り武芸(藝)を奮い、敵軍を打ち破り、敵の首を切り落としてほしい。歌人たちは、郷歌が持つ奇異な力によって、自分たちの願いが叶うと信じていた。額田王は、斉明天皇の願いを歌に込めた。「歌の願いの通り、事が運ぶようにしてください。悪人の頭を消してください」と。
海には月の光が降り注いでいた。月明かりの下、額田王は奇異な力を持つように漢字を精巧に組み立てていた。熟田津と船、そして月を、郷歌の視点から見なければ、おそらく8番歌は永遠に読み解けないはずだ。
その日の夕方、額田王が歌を歌っている時、歴史の行方を決める月が決心したように巨大な姿でふわふわと昇り始めた。8番歌は、斉明天皇と額田王の願いをかなえてくれるのだろうか。
そして5カ月が過ぎ、途方もない知らせが伝わってきた。斉明天皇が悪人の頭と指した新羅の太宗・武烈王が661年6月に突然、死亡したのだ。倭国の首脳部は、送られてきた急報を聞き、「8番歌がついに目的を果たした」と歓喜しただろう。8番歌が新羅王を死に至らしめたのは本当だろうか? 現代人の合理的な観点からすれば、とんでもない話のはずだ。しかし、万葉時代の人々は、郷歌とはこのようなことを可能にする歌だと心から信じていた。 郷歌は「言霊」の歌だった。熱い祈りの歌だった。願いをかなえる歌であったので、郷歌はその時代の人々にとって崇拝の対象だった。
次回は一千年間、誰も解けないとされた歌、万葉集9番歌の秘密を解き明かす。驚くべき内容が統一日報の紙面を通じて日本史で初めて公開される。楽しみにしていてほしい。
新羅王を呪い殺した歌万葉集8番歌〈了〉