鄭長善・平沢市長に聞く

「元義士の功績を広く周知」
日付: 2024年03月19日 12時36分

 韓国・平沢市は、明かりが消えることのない都市だ。韓国トップの企業・サムスン電子の半導体工場が進出し、日々発展を続けている。人口も増え続けており、45万人だった2014年から、現在では63万人の中堅都市へと成長した。今回は、在外同胞初の「義士」・元心昌の足跡をたどる「元心昌記念館」の設立に惜しみない支援を提供した同市の鄭長善市長に話を聞いた。

(聞き手:姜昌萬/構成:李民晧)


「元心昌記念館」設立の意義とは。


「元心昌記念館の展示物は統一日報から寄託された資料で、元心昌義士の人生と活動を紹介している。記念館のオープンは多くの意義を持つ。
まず、植民地時代における海外3大独立義挙の一つ『上海六三亭義挙』の全貌を伝える上で役割を果たす、ということだ。そして、元心昌義士による独立運動の歴史を正しく伝えられる場所ができたという点も大きい。特に、若者の愛国心と民族意識を高め、教育的価値を提供する記念館になると思う」

元義士について周知のためにどのような活動をしてきたのか。

「平沢市では、元心昌義士の独立精神を継承する様々な行事を推進してきた。
3月17日の六三亭義挙記念式、7月4日の追悼式に加え、10月10日には元心昌義士の活動にスポットライトを当てたイベントも行った。また、元義士の生家を知らせる案内表示や、名誉道路『元心昌路』の設置も行った。そして今回、統一日報による元心昌義士の遺物の寄託で記念館が建てられたことは非常に意義深いことだと思う」

 韓国内で元心昌義士の活動が周知されていない理由について。

「独立運動史でアナーキストは、民族主義や社会主義系の人物に比べるとさほど注目されることがなかった。その点が影響しているのではないかと思っている。そのため、以前は平沢市民も元心昌義士を知らない人が多かったが、この数年間にわたる宣揚事業によって元義士の存在を知る人も増えてきた。記念館の開館を機に義士の功績を広く伝え、顕彰事業に力を注いでいきたいと思っている」

 元心昌の人物像については。

「元心昌義士は自分の暮らしよりも民族の独立と統一のために献身した。植民地の宗主国である日本で活動しながらも、日本の植民地支配を批判し、韓国の独立を訴え、民族的な誇りを失うことはなかった。解放後は民団を創立し、中央団長として在日同胞社会の権益向上に貢献した。また、統一運動団体『南北統一促進協議会』の結成や、統一日報の創刊を主導するなど、統一運動に全力を尽くしてきた。このような義士の功績、その精神は、今日を生きる韓国人に大きなインスピレーションを与えている」

今後「元心昌記念館」をどのように活用していくか、具体的な計画はあるか。


「まず、義士の功績を学術的に研究し、これを一般向けに知らせる学術大会を開催する。そして、平沢出身の独立運動家である元義士の人生と業績を若者が学び、その精神を継承すべく歴史教育プログラムの運営も検討している。また、文化芸術公演など市民に元義士の活動を理解してもらえるよう、様々な企画を推進していきたいと思っている」

「元心昌路」を一般道路に指定する方法はないのか。


「”元心昌路”は名誉道路として安亭路1番地から292番地まで2・9キロメートルの区間にわたって指定されている。一般道路に指定されるためには、関連法や規定に適合するかどうかを検討し、その必要性を明確にしないといけない。地域住民の同意を得ることも重要だ。今後は綿密な検討が必要となる」

元義士は韓国戦争の時、米軍とともに参戦した在日学徒義勇軍の派兵に役割を果たした。平沢の在韓米軍基地と市が共同事業を展開する可能性については。

「元心昌義士と在日学徒義勇軍の功績を記念し、交流を活性化させる方法があるはずだ。米軍との共同事業は両国間の理解と協力が必要と判断されるので、まずそれについて検討を行うべきだと思う」

本紙・姜昌萬代表(左)と対談する鄭長善平沢市長

 


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