いま国内外で李承晩・韓国建国大統領が静かなブームとなっている。ドキュメンタリー映画『建国戦争』の公開に続き、若き日の著作『独立精神』の日本語版が刊行されるなど、今月に入り韓日で注目すべき動きをみせている。翻訳を担当した金永林氏と、日本人研究者の高城建人氏に話を聞いた。
韓日で高まる思想家としての評価
新刊書籍『李承晩「独立精神」』(訳・解題:金永林、原書房)が21日から順次全国で発売される。
李承晩・大韓民国初代大統領(1875~1965)は、政治犯として漢城監獄に収監されていた1904年6月、『独立精神』の原稿を書き上げた。120年前の当時は日露戦争勃発の直後に当たる。
原書は、当時の大韓帝国の一般人向けに作成したという李承晩大統領の意図から、全文がハングルで書かれている。当時の綴りや口語・文語の文法的な構造が現代のそれと大きく相違しており、今回の日本語版を担当した金永林・東国大学文化学術院専門研究員によると、李承晩大統領はこれまで思想家としてはほとんど注目されてこなかったという。日本語版『独立精神』の上梓に際して「大統領になった李承晩がただの老人ではなかった点、反日イデオロギーに凝り固まった人物でもなかったという点を、まずは本書を通じて日本の人々に理解してもらいたい」としている。
■訳者がみた李承晩「独立精神」
金研究員は、李承晩大統領について「福沢諭吉と伊藤博文を足したような人物か」との質問に対し「より厳しい条件下で当時を生きていた」と答えたことがあるという。『独立精神』は確かに、福沢の『西洋事情』『学問のすすめ』のように西欧近代を自国民に周知する啓蒙書としての性格を帯びていた。ただ、李承晩大統領はアジアから脱却しての自国の発展を目指すよりも「(西欧近代思想が)常識として通じる国を作りたい」という希望を打ち出していた。帝国主義的「弱肉強食」の色彩が強かった福沢や伊藤の近代史観と異なり、「万国公法」のような国際法に忠実であろうとした李承晩大統領の立場が重要としている。
なお本書の出版記念イベントが来月20日夕刻に企画されているほか、金研究員が2020年に中央大学で取得した博士(文学)学位請求論文『旧韓末、韓国知識人の「独立」思想と近代日本』の書籍化の計画も進行中という。
■日本人研究者が寄せる期待
昨年、京都大学で『李承晩政権期(1948~60)韓国における民主政治の形成と展開』のテーマで博士(人間・環境学)学位を取得した高城建人・京都大学非常勤講師も、今回の『独立精神』邦訳の完成に期待を寄せている。
ソウル大学で博士学位を取得し、かつ韓国の大学で教壇に立っていた父の影響で、中学1年までを韓国で過ごした高城講師は「権力に満ち足りた独裁者」のように歴史の授業などで語られる李承晩大統領への関心を抱き続け、日本に帰国してから研究対象として取り上げたという。
「最初は朴正熙大統領の研究に進むつもりだったが、一次文献を読み込むうちに、李承晩大統領が重要に思えてきた。李承晩大統領を理解できなければ、韓国を理解することもできない」としている。
日本で博士号を取得した2人の専門家は、李承晩大統領を「一貫した思想家」と見る姿勢が共通している。
金研究員は、リンカーン米大統領の名言をもじりながら「『韓国人の・韓国人による・韓国人のための政治』を希求したのが李承晩大統領の真骨頂で、『独立精神』を書いた若い頃の知見は晩年まで一貫していた。後代を生きる人々からみて、李承晩大統領の存在そのものが乗り越えられない高い壁として屹立していた分、非難するしかない方向に進んだのではないか」と述べている。
高城講師は、「敏感な時期に大統領の任に就いていたため、韓国の現代史に傷をつけた人物であるのは間違いない。ただ、1960年の4・19民主化運動(四月革命)では、民意を反映し、1週間後には潔く辞任もしていて、自身が主導した教育や啓蒙の論旨を最後まで一貫させた人物であった点は見直すべきだ」としている。
最近『建国戦争』を観た感想をSNSにアップした韓国の芸能人が「2チク」(「国民の力」支持者を指す、保守を侮蔑した造語)と呼ばれ、誹謗中傷を受けた。現在の韓日に巣喰っている従北主思派勢力から「祖国の統一を阻んだ」存在として忌み嫌われている傾向の表出だ。ただ、研究者たちも認識している通り李承晩大統領は評価が両極端に分かれる人物という点は押さえておくべきである。
今回新たに日本語訳が刊行された『独立精神』は、大統領就任以前の、若き日に獄中で書かれた啓蒙書であるという点も後押しして、韓国や日本で今後どのような評価を受けるかという点が注目されている。
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李承晩大統領が獄中で書いた『独立精神』(1904)の日本語訳を上梓した金永林・東国大学文化学術院専門研究員