ドラマと文学で探る韓国⑩ 変化する家族のかたち② 青嶋昌子

『恋のスケッチ~応答せよ1988』×『鳥のおくりもの』
日付: 2024年02月08日 10時24分

 米国の世論調査機関「PEW RESEARCH CENTER」が先進17カ国の成人1万9000人を対象に、ある興味深い調査を行った(出典:ハンギョレ新聞電子版2021/11/23付クァク・ノピル記者)。「What makes life meaning?(人生を意味あるものにするのは何だと思いますか?)」というもの。
この問いに対して、17カ国中14カ国で「家族」という答えが最も多かった。だが韓国では「物質的な豊かさ」が1位、「健康」「家族」は3位だった。家族関係が韓国より希薄と思われる日本でさえ、1位だったというのにである(韓国のほかは台湾・スペイン)。その内容を仔細に見ていくと、「物質的な豊かさ」を求める理由には、家族を養う資金やマイホーム購入のため、という回答があった。高学歴・高所得者ほど、「家族」を真っ先に選択しているといえる。

『鳥のおくりもの』の主人公、ジニは他人に見せる「私」と自分が見る「私」とを、巧妙に使い分けている。人前で子どもっぽく振る舞うのは、彼女の武装行為ともいえる。大人というのは、子どもが実は傷ついていると知らずに、言いたいことを言う。ジニの前で無遠慮に死んだ母の噂話をしてしまうのも、無邪気によるものだ。
ジニは知っている。祖母はもしも自分と叔母のヨンオクのどちらか一人しか助けられない状況になれば、孫の自分ではなく娘のヨンオクを救うということを。孫が可愛いかろうと、娘より大事ということはないだろうとみている。
さらにジニを傷つけるのは経済力だ。級友のファヨンは勉強はできないが裕福である。彼女は親の七光りによって、権力をほしいままにしている。
ジニは、正義とは経済力であると身をもって知っている。子どもにとって、これほど理不尽なことがあるだろうか。
こうしてジニの「克己訓練」が始まる。悲しむ「私」それを眺める「私」というように。

『恋のスケッチ~応答せよ1988』はタイトル通り88年のソウルを背景に展開するドラマ。家族の絆は、時に煩わしいほど濃厚だ。近所付き合いも同様で、そこにはプライバシーのかけらもない。夕飯時にでもなれば、ご近所同士でおかずのお裾分けは日常茶飯事だ。そこにはうっすらと、だが厳然とした経済力の格差が垣間見える。
主人公ドクソン一家が暮らす家は、映画『パラサイト』でお馴染みの半地下で、貧しさを象徴する。ソウル大生の長女ボラはそんな家族にとって、誇らしい存在である半面、異端児でもある。ボラ自身、貧しくとも仲の良い家族と一線を画しているし、家族もボラには腫れ物に触るような態度で接する。
そんなドクソン一家の上、つまり地上に住むのは、宝くじに当たっていきなり裕福になったキム一家だ。ラブコメであっても韓国ドラマでは必ず社会が描かれる。この葛藤が、ドラマをさらに面白いものにしているのだろう。
はじめの調査に戻ろう。物質的な豊かさを求める韓国人の胸の内は、それも全て家族のため、といえる。ここから、社会の底流にある本質的な姿が見えてこないだろうか。高所得者が真っ先に家族こそ人生を意味あるものにすると言えるのも、経済的に豊かであるからで、思いはやはり同じだ。
次回は、ジニとドクソンの恋と成長の過程を探っていこう。


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