群馬県高崎市の県立公園「群馬の森」に建立された、戦時中に勤労動員されて死亡した朝鮮人の追悼碑の撤去作業が始まった。同碑を管理する市民団体に代わって、県が行政代執行したもの。同碑の設置には朝総連との結びつきが疑われる市民団体が関わっており、以前から政治利用が指摘されていた。追悼というだれも反対できない大義名分のため、民団群馬も関与した時期があった。北韓の金正恩総書記が韓国に対して敵意を露わにしたことで、今後、朝総連による民団への関与工作が大きく転換するのではないかとの見方がされている。
追悼碑は2004年、小寺弘之知事に申請し、「政治的行事および管理を行わない」などを条件に10年間の設置を許可され、「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」(守る会)の前身の団体が建てた。
式典で政治的発言
しかし式典で参列者が「強制連行の事実を訴えたい」などと発言したことが問題視され、群馬県は条件に反したとして設置の更新を認めず、14年7月に追悼碑を撤去するよう守る会に通告した。
守る会は同年11月、処分取り消しを求めて群馬県を提訴し最高裁まで争うが、22年6月に上告を棄却され、敗訴が確定した。群馬県は今年4月に追悼碑の撤去と原状回復命令を通知。それに対して守る会は5月に新たに追悼碑の設置および管理許可申請を行ったが不許可となった。
同追悼碑を建立した守る会の中心となっている会員の背後には朝総連の影がちらつく。守る会の藤井保仁事務局長は元教員で、在職中から金日成・金正日主義研究会に参加し、たびたび北韓を訪問している。朝総連の機関紙「朝鮮新報」の取材に対し、「主体思想に感銘を受けた」と語っている。共同代表で訴訟弁護団の角田義一弁護団長は、社会党などに所属した元参院議員。朝総連系の商工会からの献金疑惑が持ち上がったが、「十分な説明がない」と批判を浴び、07年に政界を退いた。
当初から違和感
建立当時を知る人物は「建立運動を推し進めていた人が『県立公園に設置が決まったこと自体に意味がある。勝利だ』とはしゃいでいたのを見て、政治利用ではないかと違和感を持った。朝総連の関与の噂もあり、問題を起こすのではないかと思った」と不安を口にする。
民団群馬の趙武雄団長は、追悼碑設置直後の最初の式典に参加した。「当時、商工人同士のつきあいで、朝総連幹部ともつながりがあり、参加を要請された。民団群馬幹部だったが、個人名義で一度だけ参列した。参加者の9割が朝総連関係者だった」と振り返る。その後、民団群馬としては特に関与しなかったが、趙氏が多忙のため活動を離れていた時期に、事情を知らない幹部が式典に金員を出費していた。趙氏が活動に復帰して「これはよくない」と内部に対して事情を説明して以降は関わっていない。
趙団長は「政治利用については疑問だが、市民団体が追悼碑建立に尽力してくれたことには感謝している」と話している。
「反日煽る」道具に
追悼碑の撤去後について、群馬県が守る会に対して県有地を移築先として打診したが、交通の便が悪いことから、反対が多数を占めたとされる。事情通の一人は「移築せずに右派勢力が追悼碑を破壊したと見せかけて動画を撮り、反日感情を煽るためSNSで拡散しようという一部支援者からの意見も出たようだ」という。
北韓の金正恩総書記は昨年末から年初にかけて、韓国に対して敵意を露わにした発言を続けている。一方で22年には朝総連に対し、「民団をはじめとする組織外同胞との共同行動を活発に展開すべきだ」と民団との連携を命じている。韓国への敵対姿勢を明確にしたことで、朝総連への影響も避けられない。
これまで左派系市民団体などを巧妙に取り込んできたが、今後はより見えづらくなるか、もしくはメディアを通じた攻撃が先鋭化するのか。朝総連による対民団工作が大きく変化するかもしれない。
「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」が主催した追悼式典