「経済国宝1号」の在日技術者

ポスコ創業に貢献 金鐵佑氏
日付: 2024年01月16日 11時39分

 韓国5大企業に名を連ねるポスコ(POSCO、旧浦項製鉄)が日本と深い関わりを持つことは広く知られている。しかし、ポスコの創業に在日同胞が貢献したという事実はあまり知られていない。ロッテグループの創業者、辛格浩をはじめ、在日同胞が母国進出に成功したケースの一つだ。韓国が経済的発展を遂げてきた裏には、多くの在日同胞による貢献があった。ポスコの創業もまた同様だ。
産業が育たなかった当時の韓国に鉄鋼会社との縁を繋いだのは、大阪の製管会社「新日本工機」の社長、孫達元氏だった。在日同胞の実業家である孫氏が、朴泰俊・大韓重石鉱業社長(後の浦項鉄鋼代表、国務総理)に日本最大の鉄鋼会社「八幡製鉄(現在の日本製鉄)」を紹介したことがポスコの創業につながった。
ポスコの創業期を語る上で欠かせないキーパーソンがいる。在日同胞の製鉄技術者、金鐵佑氏だ。東京大学工学博士の金氏は、当時の職場・東京大学を辞めて祖国の求めに応えた。金鐵佑氏は日本生まれの在日同胞2世だったため、韓国で暮らすことは決して容易なものではなかっただろう。1965年の韓日国交正常化直後、朴泰俊氏は何度も金氏のもとに足を運んだ。金鐵佑氏は、そうした祖国からの求めをむげにすることはできなかった。
金氏は製鉄分野の特殊技術者だった。ポスコの第1号高炉を設計・建設したのも同氏だ。年間生産量103万トン規模の鉄鋼生産高炉を作り上げた本人だ。金氏はさらに、製鉄工程と技術導入手段、それに伴う機械の構成など、ポスコの稼働に必要な下地を整えた。それにより、「経済国宝1号」という異名を持つことになる。
しかし、順風満帆に思えた金氏の韓国生活にも試練の時が訪れた。北韓のスパイという疑いを掛けられ、6年6カ月もの間を塀の中で過ごす羽目になった。悔しさのあまり、獄中で自ら命を絶とうとしたこともあった。
その後30年間にわたる再審を経た後、晴れて2012年に無罪判決を受けた。公安当局によりスパイに仕立て上げられたという裁判所の見解だった。釈放された金鐵佑氏は韓国政府から「科学技術有功者」に選ばれ、ポスコ復職後は副社長に就任した。
対日請求権で得た資金のうち、1億1948万ドルをかけて設立した鉄鋼会社・ポスコの歴史は、日本及び在日同胞と深い縁があると言えるだろう。韓国産業化の1ページを飾った金鐵佑氏は生前、次のように語っている。
「1964年、初めて祖国に来た工学生時代は、ほとんど韓国語を話すことができませんでした。当時、釜山の第一製糖、大邱の第一毛織、寧越の火力発電所などに案内されたのですが、あまりにも母国がみすぼらしく見え、胸が張り裂けそうになりました」(2019年5月8日「ポスコニュースルーム」)
知人らは金鐵佑氏に対し、「工学者や科学者である以前に『真の愛国者』だった」と口をそろえる。長年にわたり不当な獄中生活を強いられたにもかかわらず、逆境を乗り越えるパワーの源はどこにあったのだろうか。日本に残してきた家族や故郷の親戚、貧しい祖国のために全身全霊を注いだのだ。
このように、大韓民国の産業化においては日本からやってきた第1、第2、第3の金鐵佑が存在した。数多くの在日同胞が私財をなげうって産業化と科学技術発展の礎を築いてきた。まさに母国に対する在日同胞の思いそのものだ。こうした歴史は、最貧国から経済大国へと成長した韓国が在日同胞に対して負っている「借り」といえるだろう。
■金鐵佑(1926年3月~2013年12月) 静岡県出身、東京大学工学博士、東京大学生産技術研究所教授、浦項製鉄技術顧問、浦項製鉄副社長兼技術研究所所長


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