いま麹町から 27 髙木健一

日本国内右派からの批判①
日付: 2023年12月12日 13時24分

 私は韓国の人から「韓国のために努力してくれてありがとう」とよく言われます。その上で「日本社会の中でいろいろと攻撃されることはないか」と聞かれます。勿論、私の活動はこれまでの日本がやり残したことを指摘し、その責任を追及するものですから、日本の一部からの反発はあります。
先の戦争は欧米の奴隷状態だったアジアの人民の解放戦争だったと公言する人がまだいます。その人たちからすれば、侵略戦争であるとして戦後補償の義務があるとの私たちの考えは許せないもののようです。

1996年11月30日の「朝まで生テレビ」(元日本兵が語る「戦争と平和」の回)に出演したとき、インドネシアでモスクの中に逃げた女性が、追いかけてきた日本兵にレイプされたという話を聞いたことがあると紹介しました。すると、スタジオのフロアの階段上に座っていた50人の元日本兵から「嘘だ」「お前は非国民だ」などと口々に罵声を浴びせられました。
ところで、このインドネシアは他の占領地域とは異なる特徴があります。
オランダの植民地であったインドネシアを日本軍が追い出し「解放」したという側面があるのです。
しかし、「解放」したといってもそのあとは日本軍の支配になるのですから、本当の意味での「解放」などではありません。日本軍は占領中、5万人のインドネシア人兵補組織をつくり、日本軍の補助をさせたのです。
このインドネシアで海軍主計中尉として3000人を指揮した中曽根康弘(元首相)は、部下のために「慰安所をつくってやった」と自叙伝に自慢げに書きましたが、兵補はその慰安所の門番を任されていたのです。
結局、インドネシアではアメリカ軍との戦争もなく、比較的安定した占領の後、戦後はオランダとの独立戦争に日本軍のつくった兵補組織が役割を果たしたということです。そのため旧日本軍関係者も独立後のスカルノ大統領のインドネシアとのパイプ役となるなど、政治的にも生き残ったといえます。そのため前記「朝まで生テレビ」のように、50人の元日本兵が集まり私を「非国民」などと大声を出す元気があったのです。

元拓殖大学教授の藤岡信勝氏は私について「慰安婦問題をでっち上げ、世界にその嘘をばら撒いて国際的な大問題に仕立てた」とか、「慰安婦問題を使った反日運動で独創的な点は、相手国の『被害者』を探し出し、原告に仕立て上げて日本国家に対して訴訟を起こさせるという運動モデルを開発した」とか、果ては「高木はインドネシアを訪問し、地元紙に『補償のために日本からやって来た元慰安婦は名乗り出てほしい』という内容の広告を出した」と全くの捏造記事を月刊誌「Will」に掲載しました。私はインドネシアに行ったことはありますが、慰安婦募集の広告など出してはいません。
韓国やフィリピンの慰安婦もそれぞれの地元で声をあげ、運動体(韓国では遺族会、フィリピンではリラ・フィリピーナ)が日本の弁護士に依頼をしてきたものです。そこで私は藤岡教授を相手に名誉棄損であるとして裁判を起こしました。
この裁判は最終的には藤岡教授が「Will」に謝罪文を掲載し、私に50万円を支払うという和解(2016年6月20日)で終わりました。しかし私についてのネット情報の「Wikipedia」には、上記のような誤ったインドネシアに関する情報がまだ載せられています。
また、14年9月1日には池田信夫という人が自らのブログに「慰安婦を食い物にする高木健一弁護士」とか「ハイエナ弁護士」などの記事を掲載したので、これも名誉棄損だとして裁判を起こし16年7月20日、やはり謝罪文掲載と30万円の支払いという和解を勝ち取りました。


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