新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第24回 伴野麓

日付: 2023年12月12日 12時42分

 欠史9代天皇の生涯は、初代神武(127)第2代綏靖(84)第3代安寧(67)第4代懿徳(77)第5代孝昭(114)第6代孝安(137)第7代孝霊(128)第8代孝元(116)第9代開化(111)と、異常に長寿だ。
正史とされる『日本書紀』に記された記述を欠史と判定を下すにはよほどの事情があったと思われるが、『記・紀』を絶対視した曲学阿世の輩どもは、巨大な大和朝廷が以前から存在していたかのごとく装いながら論を展開した。そうした論述は砂上の楼閣というものだ。歴史に無関心・無知の者らは、そうした論述を鵜呑みにして、わけのわからないまま日本の歴史をわかったつもりでいる。
『日本書紀』は、吏読文で書かれているという向きもある。吏読文は暗号文であるから、作者の手を離れるともう理解できず、時代を経ればなおさらになる。そのうち、漢文風に読もうとする風潮がなぜか定着し、幾多の碩学の手を経て、現在の意味不明の『日本書紀』や『万葉集』が伝承された。加筆や削除があった可能性は否定できない。
というのも、神武や綏靖といった歴代天皇(大王)の漢字名は奈良時代に整ったとされている。一方で、江戸時代に水戸藩が『大日本史』を編纂した際に中国から招聘した朱舜水という学者が書きそろえたともされている。それならば、判読不明な箇所を漢文調に読もうとして書き換えられた可能性は否定できないし、超時代的な改編によって、なおさら意味不明の『日本書紀』になったのではないかとも推測できる。
神武~開化までの9代の天皇は、戦前の歴史学では神話の世界に祭り上げられ、戦後はその実体が疑われ神武を除いた綏靖~開化を欠史8代などと称した。
ただ、葛城山・金剛山・三輪山の周辺には弥生時代の生活跡や『延喜式』の式内社などが散見される。それは古代から人間が生存し、歴史を刻んできたことを意味する。綏靖の都が葛城であり、ニギハヤヒ(饒速日)の降臨した哮峯が葛城山中とする向きもある。
葛城の地は当時の中心地であったようで、その葛城の地も、磯城の地と同様にニギハヤヒの後裔である磯城県主一族の領知する地であった。その磯城県主一族の統領ヒコユジ(彦湯支)の名前を綏靖に入れ替え、磯城県主一族の事績を綏靖の事績として改竄したものが『古事記〈綏靖記〉』や『日本書紀〈綏靖紀〉』であると考えられるのだ。
それらのことはやはり、400年前後に大和に侵寇し、突如として百済系大和王朝を樹立した沸流百済が、新羅系山陰王朝を簒奪した自らの存在を黒子にすべく倭地の歴史を偽装・捏造したという、苦肉の策であったと思われてならないのである。

9代の実体はホアカリ(火明)=ニギハヤヒ王朝

(1)神武(2)綏靖(3)安寧(4)懿徳(5)孝昭(6)孝安(7)孝霊(8)孝元(9)開化と続く大和王朝は、欠史9代などと称されて架空の存在と見られているが、検証していけばいくほど、確かに虚構譚であることが浮き彫りとなる。


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