新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第23回 伴野麓

日付: 2023年12月05日 13時11分

 〔綏靖紀〕

綏靖はニギハヤヒ一族の統領のイメージ

大和の地は、400年前後に高句麗広開土王に撃破された沸流百済の王族が突如侵寇してきて制圧し、百済系大和王朝を樹立した。そして、沸流百済は自らの存在を黒子にして、それ以前に存在していた新羅系山陰王朝の事績を簒奪し、百済系大和王朝が新羅系山陰王朝よりもはるか以前から大和の地に存在していたかのように偽装・捏造して歴史を組み替えたことは、すでに言及した。
その具体的な歴史として、神武が創始したという大和王朝が創作されたのだが、その実体は新羅系山陰王朝の事績を取り込み、改変したものと思われる。改変を承知しない者らに対しては陰に陽に、命にかかわる脅迫や暴力などを伴って黙らせたと思われ、その結果が『古事記』と『日本書紀』に表れたと思われる。
神武が創始したという大和王朝は、(2)綏靖(3)安寧(4)懿徳(5)孝昭(6)孝安(7)孝霊(8)孝元(9)開化と続いていくのだが、神武東征譚は虚構譚であることを明らかにし、続く綏靖~開化も欠史8代などと称されて、戦後の歴史観では切り捨てられている。

磯城県主一族の統領ヒコユジ(彦湯支)を綏靖に入れ替えた

筆者は以前、大和王朝をプレ大和王朝として言及を試みたことがあるのだが、言い改めると新羅系山陰王朝ということになり、その新羅系山陰王朝は、出雲を宗主国とする山陰海岸に展開された連合国で但馬、丹後、若狭などの国が大きな役割を担っていた。
その中の丹後国の勢力が大和に進出し、分国のような形で大和国を領知したと考えられ、それをプレ大和王朝と称したのだが、その当時の名称は大和国ではなく、磯城国などと称していたと考えられる。
神武が東征する以前に、大和の地はニギハヤヒ(饒速日)が領知していたことが明らかになっており、そのニギハヤヒが京都は丹後に降臨したホアカリ(天火明)と同一人(神)格だ。であれば、ニギハヤヒことホアカリの勢力、あるいは海部氏と称される勢力が大和の地を、神武以前に制圧していたことになる。
ニギハヤヒは物部氏の祖神とされ、ホアカリは海部氏の祖神であり、尾張氏の祖神でもあるから、物部氏、尾張氏、海部氏は同族ということになる。つまり、新羅系山陰王朝の構成氏族ということになるのだ。
『古事記』や『日本書紀』をいくら読んでも、日本国がどのように発展してきたのか、まったく理解できない人が多いはずだ。
それどころか、神武東征譚が虚構で、第2代綏靖から第9代開化までは欠史8代などと称されて、その歴史が存在しないとまでいわれている。


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