新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第21回 伴野麓

日付: 2023年11月14日 10時15分

 『古事記・日本書紀』は、怪文書同様の偽装・捏造にまみれた偽歴史書と断ぜざるを得ないし、その『記・紀』を絶対視し、正当化する論述においては、これまた何をかいわんや、というものだ。


〔神武紀〕

政治権力を背景にした組織的『記・紀』の偽装・捏造

葦原中国を日の御子(天皇家)が治める由来・根拠をいかに説くか、これが『記・紀』編纂者の大命題であり、国神を超論理的に撃退する方法を用いざるを得なかったといい、それが国譲り→神武東征→倭建(やまとたける)の東西征伐ということで、神武東征譚の意義は、天皇家の偉業を語ること以上に、国家の根本原理を説くことにあったものと考えられるというのだ。
しかし、歴史書は史実を記録すべきものであって、超論理的なことを筆録すべきものではないと思うし、葦原中国を日の御子(天皇家)が治める由来・根拠をいかに説くかではなく、いかに治めるようになったかの由来・根拠を記録すべきものだ。歴史書筆録の目的が倒置されたなら、そこには何らかの作意、偽証があったということであり、それは歴史の偽造ということになる。
その作意とは、沸流百済が倭地を簒奪したことを隠蔽するために自らの存在を黒子にして、自らの事績を神武などに仮託して記し、倭地を統治することがいかにも正当であるかのごとく、つまり悠久の古代から倭地の主人公(統治者)であるかのごとく偽装・捏造して筆録したと考えられる。
その偽造・捏造は、400年前後に突如樹立された百済系大和王朝から約300年後の『記・紀』編纂時の頃まで、陰に陽に行われたと思われる。それは、政治権力を背景にした組織的なものと想像され、沸流百済自らの存在を消去すると同時に、偽造・捏造の痕跡を、時には命にかかわる暴力的な言論弾圧を伴って消し去ったと思われる。

明治時代以降の歴史学者らは〝韓隠し〟を徹底

おおよその察しはつくと思うが、偽装に満ちた『記・紀』であったにも関わらず、『記・紀』を絶対視した明治維新政府は、「神武創業の精神」を標榜して、神武創業の始まりとは初代現人神、神武天皇の建国当時、あらゆる困難を乗り越えて大和を平定し、日本国の礎を作った、その神武天皇の精神に立ちかえり、国民一丸となって近代日本の建設を進めていこうと鼓舞した。
そのような基本方針のもと、明治元年(1868)3月13日に「祭政一致」を布告し、皇祖神、天照大御神をまつる伊勢神宮を頂点とする全国の神社のランキングを厳格にし、忠君の要となる天皇家の神聖な家系をより明確にした。さらに、同23年には「教育勅語」が定められ、「斯ノ道ハ、実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ、子孫臣民ノ倶に遵守スヘキ所」と宣言し、儒教的な家族主義を基礎に「忠君愛国」「忠孝一致」を説いた。そのような皇国史観に基づく歴史教育は第2次大戦が終結する1945年まで継続的、組織的に行われた。


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