新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第20回 伴野麓

日付: 2023年11月07日 13時10分

 
『記・紀』は、怪文書同様の偽装・捏造にまみれた偽歴史書

日向という地の解釈において、現在日向と称されている地、すなわち宮崎県などの九州南部に、天孫ニニギが降臨したとする説が通説のようになっているのだが、日向という地名は北九州の糸島半島にもあり、若狭(福井県)にもあり、実際は北九州の糸島半島に、天孫ニニギが降臨した可能性が最も高いということを突き止めた。
その探索の過程で、百済系大和王朝を樹立した沸流百済は自らの存在を黒子にして、フツという用語をフツヌシ(経津主)や布都大神などに核融合させ、さらにはその当時の大和には大和朝廷の姿形などは何一つなく、まさに”幻の大和朝廷”であったのだが、その大和朝廷が、これまた悠久の昔から大和の地にあったかのごとく偽装・捏造したことをこれまでの記述で明らかにした。
そうした偽装・捏造が、『古事記』と『日本書紀』に倭地の歴史であるかのごとく記されたため、それが日本列島の歴史と錯覚した日本史学界は、その”幻の大和朝廷”に振り回されて、空理空論をいろいろと展開している。”幻の大和朝廷”が実体となったのは、400年前後に突如出現した沸流百済による百済系大和王朝の樹立で、それは応神朝以後と見られる。
海幸彦と山幸彦を徹底追究してみると、国宝『海部氏本系図』と『海部氏勘注系図』に、ホアカリ(火明)のまたの名が、ヒコホホデミ(彦火火出見)ということを伝えていることで、海幸山幸説話の舞台は南九州ではなく、丹後・若狭にあることを突き止めた。驚天動地の結果であった。
ホアカリはニギハヤヒ(饒速日)のことであり、ホアカリ=ニギハヤヒの丹後↓大和降臨を、『記・紀』は抹殺し、天孫ニニギの降臨だけを記述していることを明らかにしているのだが、そればかりでなく海幸山幸説話も丹後・若狭のもの、つまり新羅系山陰王朝の伝承であったのだ。
400年代の前後に、大和の地に突如出現した百済系大和王朝はそれ以前に存在していた出雲を宗主国とする新羅系山陰王朝を簒奪したことは、すでに明らかにしてきたのだが、そればかりか百済系大和王朝は自らの存在を黒子にして、新羅系山陰王朝の事績を取り込み、悠久の昔から倭地に存在していたかのように偽装・捏造してきたことも、幾度となく言及してきた。
百済系大和王朝を樹立した沸流百済は、自らの存在を黒子にするために、出自を南九州に設定し、丹後の籠神社や若狭の若狭彦・若狭姫神社などに伝承されていた海幸山幸説話を、南九州に移植したと考えられる。
そして、九州から瀬戸内海を経由して大和に侵寇した沸流百済自らの東征コースを、神武東征に置き換えたのだ。先学が、神武東征譚を虚構視するのも、それがためだ。


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