新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第19回 伴野麓

日付: 2023年10月31日 13時13分

 ところで、天孫ニニギを徹底追究して見ると、日向という地名の解釈において現在、日向と称されている地、すなわち宮崎県などの九州南部の地に、天孫ニニギが降臨したとする説が通説のようになっているのだが、日向という地名は北九州の糸島半島にもあり、若狭(福井県)にもあるということに気付いた。
そうした地方の日向の地名が軽視、無視されていることは驚くばかりだが、碩学の文献をいろいろひもといてみると、北九州の糸島半島に天孫ニニギが降臨した可能性が最も高い。
南九州にはニニギの子の世代が進出し、隼人の祖となったのではないかと考えられる。
ニニギを徹底追究している過程で、『古事記・日本書紀』の記述がいかに偽装に満ちたものであるかを実感する次第であった。
あるいは、後世の人たちの『記・紀』解釈に問題があるのかもしれないのだが、例えばニニギが降臨した「筑紫の日向」とあるのを、問答無用に「筑紫」を切り捨て、南九州をニニギの降臨地にしてしまうという類いだ。
また、アマテラス(天照大神)という人(神)格が7世紀に、藤原不比等らによって創作された人(神)格であるなら、アマテラスの孫とされているニニギの降臨もありえない話になるはずだ。一方、それはアマテラスが、ニニギの先祖の誰かに置き換えられたという可能性も示唆していることになる。
ニニギには、ホアカリ(火明)という子があったことになっているのだが、そのホアカリはニニギの兄とする説の方が古くて確かな伝承だという。そのホアカリは、京都は丹後の籠神社の宮司職・海部氏の始祖で、またの名をニギハヤヒといい、物部氏の始祖ということだ。
そのホアカリ=ニギハヤヒを『記・紀』は抹殺し、天孫ニニギの降臨伝承だけを記述している。ホアカリ=ニギハヤヒは丹後に降臨し、大和に遷住しているのだが、その伝承はまったく抹殺されている。
『日本書紀〈雄略紀〉』に、丹後の浦島伝説や豊受大神伝説などが記述されていて、丹後が先進地域であったことを暗喩するのだが、『記・紀』の世界では丹後は軽視される地域であったことは確かであったということだ。

百済系大和王朝を樹立した沸流百済は自らの存在を黒子にした

天孫ニニギ(瓊瓊杵)が筑紫(北九州)に降臨し、ホスセリとヒコホホデミを生んだのだが、舞台はいつの間にか南九州に移り、海幸山幸説話が語られるようになった。
その説話では、釣針を失った弟ヒコホホデミを責めた兄ホスセリが、まるで悪者のように扱われ弟に敗北し、天祐を得た弟が兄を服従させ、皇祖になっていくというものだ。
兄弟2人、仲良くやっていけばいいものを、どうして争わなければならなかったのか。


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