大韓民国の建国史331

南北間の体制競争で自ら巨大な罠にはまった金日成
日付: 2023年10月31日 12時28分

 平壌側が国際的な武器取引ルートと核ミサイルの開発ネットワークを持つようになったのは、東西冷戦時期に、この第3世界を舞台にした軍事支援とテロ輸出のおかげだ。
ところが、金日成はこの米帝との闘争での先鋒を自任し、さらには「チュチェ思想の輸出」を通じて世界革命の偉大な指導者になろうとした。この妄想は、過酷な対価が付いた。
金日成と金正日の「主体思想輸出」については後述することにし、まず軍事とテロリズムの輸出路線がもたらした結果を見よう。金日成は南韓(朴正煕大統領)の急速な経済発展に焦りを感じるようになる。対南赤化戦略と同時に、重工業と軍需産業を中心とした自立的工業化建設を推進することになった。
だが、平壌側は最初から間違った資源の配分を行ったことから、工業化に投資する余力などなかった。韓国は輸出によって輸入代金の決済と投資資金を確保したが、「社会主義兄弟諸国」からの無償援助や友好的な低価格の貿易の恩恵を受けてきた平壌側は事情が違った。
金日成は、朴正煕大統領の体制競争挑戦に対応するため、西側諸国からプラントなど資本財に対する輸入需要が増加した。しかし、輸出で支えられないことから、この輸入代金を支払えなくなった。慢性的な貿易収支赤字が固着した。1971年から借款輸出代金の支払延滞と現金借款の未償還を含む北韓の対外債務が徐々に拡大・累積された。
74年末には債務の返済が不履行、または延滞する回数が頻繁になった。
北韓の貧弱な外貨保有高では対外負債累積に対応できなくなった。74年末、北韓の外貨保有高は約3億~5億ドルに過ぎず、対外決済手段である金の保有量は5674万ドル、銀は6314万ドルに過ぎなかったという。これさえも、対外軍事およびテロ支援、外交活動などに支出されたため、貿易決済と外債償還に使う余裕がないのは当然だった。
北韓側が73年7月、対日貿易決済手段として外貨の代わりに、鉄鉱石などで支払うことを日本に提案した事実が明らかにされている。翌年、平壤側が対日鉄鋼材の輸入契約金を支払うことができなかった。日本が平壌側の提案を受け入れなかったため、北側の対外債務関連問題が水面上に現れ始めた。
日本や西ヨーロッパ諸国は、北側にプラント輸入代金の支払いを督促、一部の西欧銀行の代表は平壌を訪問して代金の返済を促した。平壌側は国際金融市場で債券を発行するか新規借款を導入しようとしたが、西側の金融機関から断られ、結局75年6月以降、主要債権国と直接支払いの延期について交渉することになった。
同年7月、西ドイツの輸出保険会社のエルメス(Hermes)が、対北輸出保険の引受停止措置をとり、国際金融市場に北韓に対する警告を発した。
こうした流れを読んだ日本の輸出入銀行は、北韓に対する借款供与を拒否、通産省も北韓に対する輸出保険業務を事実上中断した。翌年、西欧の債券銀行も様々な経路を通じて北韓に対し債務返済の圧力を加え始めた。
北韓側は76年、日本、スウェーデン、西ドイツ、フランス、スイス、オーストリアなどの債権団から約2年間の債務償還の猶予措置を受けた。また、輸出信用3億2880万ドルの返済を延期し、78年11月から83年11月までの期間に、延べ21回にわたって償還することを日本側と合意した。
(つづく)


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