新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第17回

日付: 2023年10月17日 13時25分

 巨大な大和朝廷がはるか昔から存在していたというのは幻に過ぎず、その大和朝廷というのは、新羅系山陰王朝の構成員の1人であるニギハヤヒ=ホアカリが領知していた地であって、その地を大和朝廷に改竄した『記・紀』編纂者らの魔術に眩惑されているというほかない。
その文字の魔力というものによって、大和朝廷が当然の法理のように、悠久の古代から存在していたかのように論述しているのが日本史学界であり、そればかりか、それを正当化しようとする論述をあれこれ展開し、魑魅魍魎の世界をさらに拡散している。日本の歴史は根本から再検証されなければならない世界だ。

フツヌシとタケミカヅチは剣で脅迫し出雲国を強奪

タカミムスビ(高皇産霊)は、アマホヒ(天穂日)を、次にアマワカヒコ(天稚彦)を葦原中国に派遣し、出雲の国譲りを交渉させたのだが、いずれも失敗に終わった。そこで、武神といわれるフツヌシ(経津主)とタケミカヅチ(武甕槌)を出雲に派遣し、剣で脅迫して出雲に国譲りをさせた。つまり、出雲国を強奪したということだ。
強奪した側は、フツヌシ(経津主)とタケミカヅチ(武甕槌)であり、強奪された側はコトシロヌシ(事代主)で、そのような葦原中国の平定、つまり出雲の国譲りの実相は、400年前後に大和の地に突如登場した百済系大和王朝が、それ以前に存在していた出雲を宗主国とする新羅系山陰王朝を簒奪したということになる。

沸流百済の沸(ふつ)が布都御魂の布都(ふつ)に核融合

百済系大和王朝は、400年前後に高句麗広開土王に撃破された沸流百済の王族が倭地に逃避し、九州から瀬戸内海を経由して大和に到着し、その大和を都邑地にして、突如樹立した王朝だ。が、その当時、倭地には、出雲を宗主国とする新羅系山陰王朝が存在していたから、にわか造りの百済系大和王朝が倭地で容認されるはずはなかったと考えられるのだ。
そこで、容認されるためにとった手段が、祭政分離策だ。その当時の祭政一致社会において、表向きである祭祀の主体者が変わらなければ、支配者は変わらないと思わせることができ、裏方の政治権力を掌握して実利を手に入れるという一石二鳥の方策をとったと考えられる。すなわち、百済系大和王朝は政治権力のみを掌握して、祭祀権力はもとの王朝、つまりオオナムチ・コトシロヌシの出雲王朝にそのまま温存させるという方策をとった。
フツヌシ、タケミカヅチ、コトシロヌシに徹底追究すると、百済系大和王朝はフツという語を使って、前王朝の新羅系山陰王朝に核融合させて、前王朝の系譜や事績を巧みに偽装、乗っ取ることに成功した。それは驚きの新発見であった。


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