東アジア文字考~漢字を巡る遥かなる旅 第8回 水間一太朗

時代の進化は漢字制限の論拠を吹き飛ばした
日付: 2023年10月17日 13時18分

コンピュータの普及が言語に与えた影響

言語の表記方法は時代により大きく変化した。古代の文字は神との会話を記すものであり、悪用を避けるために神官のみに使用が制限された。商(殷)の時代にその禁が解かれて民衆のものとなった。刻字から筆へと筆記用具は変化し、活字が誕生した。現代では手書きという概念や活字を組む行為そのものが薄れ始めた。文字は書くものではなく、ワープロの普及により『打つ』ものとなった。さらにコンピュータの発展により『打つ』ものから『変換』するものになった。スマートフォンが普及した現代では、解析エンジンの進化により、写真画像から文字に変換する。さらにGoogle翻訳アプリではカメラを対象物に当てさえすれば文字変換と翻訳を瞬時に完了できる。
ここに至って、当用漢字表を強引に押し進めた人々の論拠は跡形もなく崩れることとなった。彼らの論拠は、第一に漢字の難しさが文盲率を上げるといい、第二に出版物制作の効率を下げるというものだった。だから、当用漢字表というわけのわからないものを作成して使える漢字を大幅に少なくしたのだ。コンピュータの普及によって高度な漢字を幼い子供でも駆使できるようになった。振り返ってみれば国語審議会の迷走は全く意味がなかったことになる。なんのことはない、漢字廃止論者の官僚と新聞社のエリートたちは結局、ソビエト言語学を信奉するイデオロギーに飲み込まれただけのことだったのだ。

県名すら書くことができない当用漢字

その結果、日本語は大きな混乱をきたすこととなった。例えば、『麻』と『蔴』と『痳』と『痲』は全く違う漢字で当然、意味も全く違う。しかし、当用漢字表では『麻』のみが採用され、他は使えなくなった。『麻』は『广(まだれ)』で、『痳』は『疒(やまいだれ)』。前者は植物の名前だが、後者は「しびれる」ことを意味する。本来『麻薬』は『痳薬』と記すべきものだが、植物の『麻』の字しかないのだから区別がなくなってしまった。伊勢神宮のお札を『神宮大麻』というが、麻薬のイメージと被ってしまう。
固有名詞が大幅に制限されてしまったことにも人々は困り果てた。当用漢字表には一八五〇字しかない。県名の『茨』も『栃』も『媛』も『阜』も『埼』も、皆なくなった。当然、県民は大ブーイングである。こんな感じのお粗末な当用漢字表だったので、名称は常用漢字表となって九五字が加わった。しかし、ようやく県名の文字が常用漢字表に追加されたのは、なんと二〇〇八年まで待たなければならなかった。それも県名まで。『札幌』や『那覇』は今でも常用漢字表では記載することができない。かように官僚は頭が固い。

意味を成さなくなった常用漢字表

『人名用漢字別表』というものがある。当用漢字表はあまりにも漢字を切り捨てたので、県名すら書けなくなった。ましてや今まで普通に使用していた姓名の記載もままならなくなった。そこで政府は九二字を名前用に追加した。それが一九五一年に発表された『人名用漢字別表』である。それまでは名前も当用漢字表から選ぶしかなかった。そのため団塊の世代では単調な名前しかつけられなかったのだ。
その後、人名漢字は増え続けた。法務省が裁判の度に負け続けたので、なりふり構わず増やし続けた結果である。そして現代。コンピュータの文字の規格は際限なく増やすことが可能である。そのため、若い世代ほど漢字を多用することとなった。若年層を対象にしたライトノベルを読めば、それは一目瞭然だ。「踵(きびす)を返す」といった馬を多用した武士の会話が日常で使用されることとなった。官僚と庶民の思惑はかように乖離していくのである。
(つづく)


閉じる