平壌側のテロ輸出は、金日成から金正日に世襲される過程でも一貫して持続した。党組織指導部に入った金正日は1967年、「唯一思想体系」と首領論を掲げた親衛クーデターを主導、金日成1人絶対独裁体制を完成した。金正日は73年9月、党の組織および宣伝担当秘書となり、後継者として確定された。もちろん一般に公開されたのは第6次党大会(80年10月)だ。
金正日が後継者として党と軍を掌握したとき、彼は党掌握のための最後の段階で、労働党の情報や謀略事業全般を掌握する。韓国に来て死亡した元労働党幹部たちは、金正日が「3号庁舎」(対南事業部署)を粛清、掌握する光景を証言した。
平壌側が国力に似合わず、対南工作を超えて、全世界的な反米・反帝国主義の戦線構築を掲げ第3世界に対する軍事やテロ支援に出たのは、もちろんモスクワ(ソ連共産党)の冷戦戦略によるものだった。
ソ連は当時、第3世界への情報や軍事支援をソ連に絶対に依存していた衛星国を動員した。金日成はアフリカ、中東、アジア、南米など非同盟圏の国々に進出、特にアフリカに力を入れた。
このような事情は、北韓の同盟関係にそのまま現れた。金日成はソ連、中国、リビア、キューバ、モザンビークと軍事同盟を結び、他にもベトナム、エジプト、シリア、イラン、パキスタンなどと事実上の同盟関係を維持してきた。後に秘密裏に原子炉建設を提供したシリア、今も核ミサイル協力を持続するイランとは秘密軍事同盟を結んだと言われる。
ところで、このような事実は、驚くべきことに、平壌側が自ら認め誇っている。
朝鮮労働党の日本支部機関誌である朝鮮新報は、2000年4月3日付の平壌駐在員の記事で次のように伝えた。朝鮮新報は、平壤の人民武力省(現国防省)庁舎にある革命史跡館に最近、「国際主義館」を開設し、北韓軍の海外派兵や軍事支援資料を展示した事実を伝えた。
朝鮮新報は、国際主義館に展示された資料には「1945年8月から(金日成が死亡した)94年7月まで、朝鮮が4カ国の革命戦争を助け、53カ国の民族軍隊の建設のため軍事的に支援した事実が明らかになっている」と伝えた。
朝鮮新報は、平壌側が支援した4カ国の革命戦争の初めとして、45年8月から50年4月まで、国民党と内戦を戦った中国共産党を支援した事実を挙げた。北韓は武器10万丁と100万足の軍靴、3000匹の布、数千トンの爆薬を中国共産党に支援し、中国東北地域の戦いには直接参加したと報道した。
朝鮮新報は、「朝鮮はベトナム戦争が起きた64年から69年までベトナムに武器10万丁、軍服100万着を支援し、飛行部隊と工兵部隊を派遣、ハノイ領空を制圧しながら戦争を勝利に導いた」と紹介した。ベトナム戦争で戦死した北韓軍の墓地は67年に作られ、毎年南ベトナム解放日の4月30日に北韓大使館員が参拝をしていると言われる。
朝鮮新報の記事は、73年に勃発した中東戦のとき、イスラエルに対抗し戦ったシリアとエジプトを助けたと報じた。
第3次中東戦争(66年)のとき、シリアにパイロット25人を含めた1500人ほどの兵力を派遣した北韓は73年、シリアにパイロット30人や整備士20人ほどを派遣、以後も北韓教官75人がシリアパイロットを訓練し、76年には40人ほどの戦闘機パイロットをシリアに派遣したと伝えられた。
(つづく)