「惇徳殿」100年ぶりに再建

歴史の評価分かれる
日付: 2023年10月03日 13時00分

 文化財庁宮陵遺跡本部は先月25日、再建された惇徳殿を一般公開すると明らかにした。
惇徳殿は、かつて徳寿宮石造殿の後方にあった西洋式の2階建て建築物。大韓帝国期(1897~1910)の高宗が、即位40周年を祝う記念行事の会場とするため、1902~03年に建てられた。
外交のための交流空間および迎賓館などとして使われたが、のちの日本による植民地時代の20年代に取り壊された。
かつての惇徳殿の内部構造を伝える資料が現存していないため、「復元」ではなく「再建」と表現されている。
1階は大韓帝国期の映像を盛り込んだ常設展示室や、さまざまな企画展示室から構成され、2階は大韓帝国の外交を説明する常設展示室とアーカイブ室となっている。
惇徳殿の前方にある石造殿にも「大韓帝国歴史館」が2014年に開設しており、徳寿宮構内は一貫して、大韓帝国が近代国家であったことを全体の展示を通じて印象づける構成となっている。
惇徳殿と似たような時代背景を持つのは、日本の建築物でいえば鹿鳴館だ。
ただし、両者とも西洋式をいち早く取り入れた先見性などが評価されたのではなく、表面的な模倣の産物として、当時の国際社会から嘲笑の的になった点を看過してはならない。
大韓帝国とくに高宗に対し、近代化の胎動を準備した先進的な人物であったとみるか、それとも独裁的な政治家であったと考えるのかという立場の違いで、今日の評価にも振れ幅がある。
近代という時代が持つ正負両面の国際情勢のあおりをまともに受けた建築物の再建を、今日の私たちがどのように受け止めるべきかという点には、注意を払う必要があるだろう。

再建された「惇徳殿」(右)とかつての姿(文化財庁提供)


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