【金聖大物語】白頭学院~人生の羅針盤~ 第6話

日付: 2023年10月03日 12時25分


世界を相手にビジネス展開

インド人の日本支社長は、ケンブリッジ大とハーバード大を卒業したエリートだった。金聖大は「Jキマトライで貿易の”いろは”をすべて学んだ」と振り返る。オフィスの規模は小さくとも、世界を相手にビジネスを展開する企業の海外支社だ。
「日本のみならず、世界を相手に繊維の輸出入を展開していました。ナイジェリアのカヌーに生産工場を置いていたのです。日本支社は日本と香港、シンガポールをターゲットにしていました」
その後、インド本社は新規市場の開拓を検討し始めた。日本は高度経済成長による物価の上昇で、綿紡の材料となる生地の価格も急騰していた。未加工の生地を調達すべく様々な市場を検討していたところ、韓国と台湾が候補に挙がった。
韓国といえば、社内にはすでに専門要員がいる。金聖大だ。誰よりも韓国の事情に詳しい上に韓国語も堪能で、新たな人材を採用する必要もなかった。
「韓国市場を開拓せよ! そう私にタスクが与えられたのです」
早速、市場調査を開始した。全国体育大会にテニスの在日韓国人代表として出場した際も、合間を縫いソウルにある日本の商社を何社も訪問した。その時に丸紅ソウルとの縁が生じ、生地を入手することができた。
金聖大は生地を注文したほか、製品の不具合を検査する業務まで担当することになった。50万ヤードの注文からスタートし、徐々に200万、500万へと増量していった。製造工場の機械の前で1インチずつ生地を確認する作業は緊張の連続。それほど検品は過酷な作業だった。
金聖大は韓国市場の開拓に続き、台湾市場の担当に就任した。社内では机1台だけが彼に与えられた専用スペースだったが、一歩外へ出ると東アジア市場を担うグローバルトレーダーだった。
「ビジネス成功におけるポイントの一つは接待が得意なことです。飲酒を伴うものですね。ソウルではバケツを用意し、飲んだフリをして酒を捨てるという技を身につけたのですが、台湾では無防備でした。グラスをぶつけて、空になっていないかを確認する”乾杯”文化だからだ。円卓で8~9人と対酌していたのですが、いったいどうやって乗り切ったのか思い出せません」
こうして金聖大は商社マンとしてのキャリアを着実に築いていった。営業ノウハウや取引の仕方は実践ありきで身につけた。その時、学んだ鉄則は「取引先との約束は、天変地異が起きたとしても厳守する」というものだ。そうした努力の積み重ねが奏功し事業は軌道に乗った。そんなある日、大阪総領事館に勤めていた友人が金聖大にSOSを発した。
「知っているか。在日は外交官になれないんだ。韓国に留学、有名大学の大学院まで卒業し、駐日公館に務めながらチャンスをうかがっていたが、それでも不可能だということがわかった。二人で協力して貿易会社を設立しないか」
その頃、折よく金聖大も人生の岐路に立っていた。このまま会社員として生きていくのか、独立するのか。      (ソウル=李民晧)


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