大韓民国の建国史326

緊急措置を国家安保、韓米連合軍司令部創設
日付: 2023年09月26日 10時31分

 革命直後から最優先課題として電源開発に取り組んできた朴正煕大統領は、1970年代に入って原子力発電に注力することになる。
71年に起工した古里原子力発電所が78年4月に竣工した。朴大統領は続いて79年4月9日、古里原子力3・4号機を起工、原子力発電9・10号機の蔚津建設も確定(79年6月12日)した。
ところが、朴大統領の最大の関心事は国家安保だった。朴大統領は対北抑止力の確保を急いだ。「10月維新」は国家安保危機を克服するためのものだった。朴大統領が独裁者と罵倒され、「10月の維新」と緊急措置を発動したのは安保のためだった。
緊急措置を取れる根源を「国家緊急権」といい、この緊急措置には戒厳宣布も含まれる。
韓国は緊急措置をとる根拠である「国家緊急権」に関する規定は、第1共和国から憲法に規定されていた。第1共和国では緊急命令・緊急財政処分・戒厳など緊急措置を取ることができた。これは伝統的な緊急措置だけを認めたもので、これを根拠に6・25戦争で緊急権が緊要に使われた。
第2共和国では緊急財政命令・処分と戒厳だけを認め、第1共和国より緊急権を弱化させた。第3共和国では緊急財政・経済命令及び処分権、緊急命令権、戒厳宣布権など伝統的緊急措置のみが認められたが、71年12月27日「国家保衛に関する特別措置法」制定で超憲法的緊急措置まで発することができるようになる。72年10月17日、国会が解散され国民の基本権の一部が停止される緊急措置が発せられた。
第4共和国はさらに強力な緊急措置権を憲法に規定した。伝統的緊急措置の戒厳宣布権を認め、74年1月8日、第1号が公布された。その後、9回公布され、朴大統領死後80年10月27日、憲法改正で緊急措置は廃止された。
いずれにせよ、このような強権体制の下で国防科学研究所(ADD)は78年9月、白熊ミサイル実験に成功した。そして78年11月7日、米国政府の合意により韓国軍と駐韓米軍を統合指揮する軍事指揮機関である韓米連合軍司令部が創設される。
韓米連合軍司令部は、国連で第三世界の影響力が大きくなりながら必要性が提起された。これは中・ソ分断を推進した米国が招いたものだ。
71年にキッシンジャーが、そして72年にニクソンが中国を訪問した。
ところが、中国は当時、UNCURK(国際連合韓国統一復興委員会)の解体を要求した。UNCURKは国連決議で51年、構成された。目的は韓国戦争後の経済再建と平和回復のためだった。
国連では非同盟国を含む多くの国々が国連軍司令部の解体を要求し始めた。国連軍司令部が中国を敵とみなしていた点で、そして中国が国連の常任理事国になったので、もはや国連軍司令部の維持が必要ないという要求だった。72年の国連ではUNCURKと国連軍司令部の解体を要求した。非同盟国が声を高めた。
このような情勢を考慮し米国は73年、国連軍司令部を解体した後、これに代替する司令部を創設することを検討した。
司令部の創設に関して3つの案が提起された。第1案は国連軍司令部と同様に韓国軍が全面的に排除される形、第2案は韓国軍と米軍が共にする形、第3案は韓国軍が司令部を主導し戦時に韓米が共にする形態だった。米国は第2案をもって韓国政府を説得することに決め、この案を74年に韓国政府に通知した。
(つづく)


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