洪範図像を建てた文政権の狙い

「国軍の日」の変更も試み
日付: 2023年09月26日 10時23分

 文在寅政権はなぜ、洪範図の胸像を陸軍士官学校の校庭に建てたのだろうか。そしてなぜ、金元鳳を「国軍の礎」として掲揚しようとしたのだろうか。
文政権は2018年、陸軍士官学校の忠武館、つまり生徒らが学ぶ建物中央玄関に洪範図の胸像を建てた。これは極めて意図的なものと捉えざるを得ない。洪範図はソ連軍が味方の独立軍を攻撃することに同意し、ソ連共産党員として生涯を終えた人物だ。前大統領の文在寅が「国軍の礎」と称えた金元鳳は越北し、金日成政権で国家検閲相と労働相を歴任。韓国戦争で金日成が犯した南侵時にも北韓の官僚を務めていたことから、「戦犯」に当たる人物といえる。

洪範図、金元鳳の共通点は「共産主義者」であるという点だ。日本帝国主義に同調し同族を苦しめた者たちを「反民族行為者」と呼ぶのであれば、韓国戦争当時あるいは解放当時に共産主義活動を展開した者に対しても、同じ尺度による見方が必要なのではないか。
「文在寅政権が陸士の校庭に洪範図の胸像を建てたのは、単純な理由ではなく、韓国と国軍の正統性を棄損しようとする工作活動の一環だと思う」(裵振榮・月刊朝鮮編集長)。
実際、1990年代後半から左派歴史学者の間では「国軍の日」について、現在の10月1日から日帝時代の抗日団体「光復軍」の創建日にあたる9月17日に変えようという主張が台頭していた。文在寅政権時には、共に民主党の所属議員らは数回にわたり「国軍の日」改正決議案を発議した。
これは「韓国」が建国される前、つまり植民地時代への回帰を試みるものに他ならない。
彼らの狙いは、共産主義勢力に対抗し自由民主主義・韓国を守り抜いた「為国献身」の歴史を抹消することなのだろうか。あるいは、韓国の主敵である北韓共産主義者と戦わざるを得ない国軍から「敵」としての概念を喪失させるためなのだろうか。陸士出身者のうち、共産主義と戦って命を失った軍人は1475人に上る。
「国軍の日」は、韓国戦争まっただ中の50年10月1日、韓国軍が38度線を越えて北進した日を記念して制定されたものだ。当時、戦争作戦権は国連軍司令官が掌握していたにもかかわらず、韓国が自ら決行した記念すべき日だ。今年で75周年を迎えた「国軍の日」。
秋夕連休(9月28日~10月3日)を控えた26日、ソウル市街地では例年より早い日程でパレードが行われた。
(ソウル=李民晧)


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