「虐殺ミュージアム」設立の可否

関東大震災の政治利用に懸念
日付: 2023年09月20日 12時42分

 100年前に発生した関東大震災では、日本で生活していた当時の朝鮮の人びとが多く犠牲になった。日本人が集団となり、一方的な残虐行為を尽くしたということは、歴史的事実として記憶・記録されるべきだろう。ただし、政治的要因によって北韓関係団体が結束力を高めるため、日本で一堂に会するというのでは開催の意図そのものが疑われる。今回は、「関東大震災虐殺ミュージアム」設立を目指すシンポジウムでの、揺れ動く議論の様相を伝えたい。

 東京大学大学院情報学環・福武ホール(地下2階ラーニングシアター)で17日、会場とオンラインのハイブリッド方式で「レイシズムを記憶する意義~関東大震災虐殺ミュージアムを設立するために」と題した国際シンポジウムを開催した。オンラインの参加者は約60人だった。
一般社団法人「東アジアピースアクション」が運営する「1923関東大震災虐殺を記憶する行動」が主催。3人の登壇者による講演のほか、金剛山歌劇団関係者による演奏や舞踊を披露する公演、主催者団体による共同宣言などが当日のシンポジウムに盛り込まれた。

■韓日の関連施設事情

1人目の登壇者は「記憶と平和のための1923歴史館」の金鐘洙館長で、「新たな100年を準備する関東大震災虐殺歴史館」と題して講演した。
忠清南道天安市の「記憶と平和のための1923歴史館」をスライドで紹介しながら、設立に至るまでの経緯や背景について説明した。ジェノサイド(虐殺)をテーマにしたミュージアムを韓国で設立するまでには、「英雄気取りに気をつけろ」という反対者からの批判も受けたという。開設に至るまで難しい点も多かったという語りが印象的だった。
2人目の登壇者は国武雅子・岡まさはる記念長崎平和資料館理事で、「岡まさはる記念長崎平和資料館のめざすもの」と題して講演した。
同館は長崎県で1995年に開館した、私設のミュージアムだ。開館前年に病死した岡正治氏は「日本人は戦争の被害者ではなく加害者なのだ」と訴え続けた。遺志を継ぐべく開設した同館では、在外被ばく者の実態について展示などで知らせている。
2年後に開館20年を迎えるが、国などの行政から支援を得ていないため、企画に対する制限などは受けないが、運営上の厳しさはあると語った。

■ミュージアムの概念とは

3人目の登壇者は光岡寿郎・東京経済大学教授で、「ミュージアムから開かれうる記憶」と題して講演した。前の2人が韓日の関連施設経営に直接関わる立場からの報告であったのに対し、光岡教授はミュージアム(博物館学)研究者・専門家として話した。
そもそもミュージアムとは、近代国家が王に代わる存在感を発揮するために設立されたもので、近代ヨーロッパでは自国を正当化するための施設として、19世紀半ばから現れるようになった。植民地朝鮮に設立された日本のミュージアムも、国家のディスプレイとしての役割を担っていたという。
矛盾をはらんだ側面もあるミュージアムの意義について、光岡教授は「テンプル」型と「フォーラム」型の二つがあると分析する。前者が「過った記憶を正す」施設にとどまりやすいのに対し、後者は「議論を通じて(社会を)変容させていく」施設として機能する。
また、ミュージアムの展示は来場者に当時を追体験させるという案内の役割を担うものであるが、100年という時間の流れがそれを困難にさせるという課題も浮き彫りにした。
総じて、「関東大震災虐殺ミュージアム」設立を目指す主催者団体のもくろみに対し、積極的な批判を投げかける講演発表が行われたという点に注目する必要があるだろう。
政治的な意味での日本の隠蔽体質が、歴史的事実に照らして明るみに出されるのであれば歓迎すべきだろう。しかし、韓日の離反をはかる北韓支持勢力が、日本国内で結束力を高める目的で「関東大震災朝鮮人虐殺」を利用するのであれば、官民が一体化した日本の過ちを同じ方向性で繰り返す未来に向かう懸念があるのではないだろうか。
そのような危惧を、今日を生きる私たちは、誰もが常に意識しておく必要がある。


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