韓日両国は大陸棚共同開発海域での探査を始めたが、探査結果はこれと言った結果が出なかった、韓日大陸棚共同委員会の第5次会議が1985年3月、開かれたが、大陸棚共同開発の展望は不透明だった。
さらに、82年10月「排他的経済水域200海里」を主な内容とする「海洋法に関する国際連合協約」締結(この条約は94年11月12日正式発効)以降、変化した国際漁業秩序は韓日両国に漁業協定の改正問題も台頭した。
もともと韓日両国は、大陸棚共同開発と韓日漁業協定などのような、排他的経済水域に対する国民の熱い関心の中、海の領土を確定する交渉に臨んだ。日本は韓日国交正常化後も韓日間紛争が発生すれば、韓国に比べて圧倒的な経済力と外交力を持っていたため、しばしば経協停止などで韓国側を脅かし、国際司法裁判所などに提訴を模索してきた。
いずれにせよ、日本が韓日大陸棚共同開発に関心が薄くなっていたとき、中国が83年、日中間の中間線から少し離れた東シナ海で原油とガス井を発見した。平湖油田だ。海底油田の原油やガスの量が少ない小型の油田はタンカーでガスや原油を運ぶ。だが、大型油田は陸地までパイプラインを建設せねばならない。
中国は平湖油田から上海をつなぐパイプラインを、東海艦隊を動員して秘密裏に建設した。当時、中国と台湾の間に緊張が高かった時期だったが、海軍が徘徊することを、台湾を脅かし訓練するものと考えていた日本は、中国側の動きに気付かなかった。問題は貯留層だった。地下はつながっている場合が多く、平湖から原油やガスを採掘すれば、7鉱区の資源を取ることができる。実際、イラクが91年、クウェートを侵攻して湾岸戦争が起こったのも、貯留層のためだった。イラクは、クウェートが油井から地下で自国の油を盗んでいくというのが侵攻の理由だった。
日本は7鉱区付近で巨大油田が発見されたことが分かるや、まず尖閣諸島を見直す。尖閣諸島は台湾の近くにあるいくつかの無人島と礁だ。国際法が今後どのように変わるか分からないため、日本は実効支配をしっかりしようという考えをすることになる。日本は中国と尖閣諸島で争うのはそのためと言える。単純な島の支配、領有権争いは、その下の途方もない資源の戦いである。日本と中国間で戦争が起きるなら尖閣から始まると言われた理由だ。
もちろん、国際的仲裁や裁判も明確な基準がない。82年、国連が海洋法協約を作りながら中間線理論を受け入れ、85年のリビアとマルタ間の大陸棚領有権紛争では中間線で判決をした。
このような裁判結果を見たためか日本は、韓日大陸棚共同開発にますます無関心になる。以降、韓国と共同開発を中断してしまう。ところで、韓国との共同開発は回避する日本が、平湖油田と後に続いて油田を開発する中国については共同開発議論を提起した。
いずれにせよ、国連海洋法の制定は、韓日間に複雑な問題を起こした。日本は韓日漁業協定について不満が多かった。韓日が国交正常化をした当時とは、両国の漁業事情が大きく変化したためだ。韓国の沿近海で日本の漁民が旺盛に操業した過去とは異なり、韓国漁民たちの日本近海の操業が増加した。
日本の水産業の中で65年の漁業協定改正要求が噴出した。日本は98年1月、国内政治状況を理由に既存の交渉を原点に戻し、韓国に対して65年の漁業協定の破棄を通告した。
(つづく)