私が出会った在日1世~『くじゃく亭通信』を発行した高淳日③ 安部柱司

NHK界隈で繰り広げられた対日工作の挫折
日付: 2023年07月11日 13時12分

 朝日新聞は、1974年11月26日付の「声欄」に、「NHKは朝鮮語講座を開設して」という高淳日の投書を掲載した。
その投書の9日後、「朝鮮語講座でお答え、NHK通信教育番組班部長、寺脇信夫」と「声欄」に返答を寄せている。その内容は、「語学番組については、それぞれのお立場から数多くの外国語についての放送希望をいただいておりますが、限られた放送時間でこれ以上増やすことは大変困難な状況にあります」と拒否回答に近いものであった。
1974年暮れ近くに朝日新聞が高淳日の投書を掲載し、NHK側が返答した背景には、北韓側の工作が見え隠れする。
それは金達寿の「今度は韓徳銖が平壌文化語を民族教育に取り入れようとしている」という怒りの言葉からも伺える。
NHK教育番組の担当部署には、小学校以来の友人の須山正広が勤務していた。その須山正広と十数年ぶりに、くじゃく亭でばったり出逢った。

須山正広はカナダから引き揚げてきて私と友人になった。その後、いわゆる当時の一流大学に進学した須山正広とは距離を置いてきたが、くじゃく亭で昼食を注文していた須山正広と10数年ぶりに再会したのだった。
須山正広は英語力でNHKに勤めている、と語っていた。当然、寺脇信夫部長と相談する関係であったろう。高淳日は「うちにはNHK職員がよく見える」と語っていた。
のちに焼肉料理の研究者で知られる大学教授は、自衛隊本部が六本木にあった時代に、周辺に著名焼肉店が店舗を構え、自衛隊の情報を収集していた、との推察を語っている。高淳日も、NHK職員が食事に来るとサービスを尽くしていた。それは北韓の「NHK工作」が行われていたことを推察させるものであった。

高淳日は、金正日が後継者になり、その伴侶が済州島2世の高英姫だと知れ渡ると、高英姫の写真を提示して、我が済州島高一族の誇りだと自慢した。その高英姫20歳の写真は、今でも私の書斎に飾ってある。高淳日も色白の好男子であったが、高淳日が自慢するだけのことはあるという思いで眺めている。今の日本の女優では、NHK朝ドラ「らんまん」のヒロインを演じる浜辺美波に似ている。

日韓交渉妥結前後から、NHK内部では韓国語講座の開設へ向けての動きが始まったと推察される。当時のNHK内部では労組の力が強く、労組は日韓交渉反対の立場だった。
当時の韓国の朴正熙大統領は軍事政権とみなされており、NHK労組内では否定的な動きが強かった。労組は「韓国語の名称では、軍事政権を連想させるではないか。朝鮮語の方が民主的だ」という主張であったろう。
その動きは、再度引用するが統一日報が1981年7月15日付で「このNHK韓国語講座開設問題は、1964年から『韓国語』か『朝鮮語』か、決定のないまま今日までのびのびになってきた」と報道する。
81年3月に三千里社の徐彩源社主は金達寿一行を引率して訪韓した。それは高淳日が働きかけていた「朝鮮語講座」の放送が、事実上なくなったことを意味していた。北韓の対日工作の一環として平壌文化語の普及を、NHK近くのくじゃく亭で図っていた高淳日の挫折であった。
付け加えておけば、NHKが「ハングル講座」を開設すると、高淳日はNHK近くのくじゃく亭を閉じる。もちろん、『くじゃく亭通信』も発行が止まった。


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