日本は、東西冷戦の中で自分のアイデンティティーを確実にした。政府の公式白書や青書などを通じて日本の影響力の根源である経済力を活用する外交方針を宣言した。「政経分離」と「全方位外交」の立場を明らかにする。日本としては当然のことだったが、韓国は、経済力を武器に世界を舞台に自由に取引する空間を広げていく日本を、距離感を感じながら見るしかなかった。
経済と政治は区別しにくい場合が少なくない。日本社会は、蒋介石政権に続き、毛沢東の中共も、日本に対して第2次大戦での勝戦国として戦争賠償を求めないということに深い印象を受ける雰囲気だった。日本に請求権を要求した韓国などとは違って、大陸国家の中国は、器の大きい寛大だという評価をする人々が少なくなかった。もちろん、蒋介石総統の台湾と毛沢東の中共は、そのような長期的な政治的・心理的効果を狙ったものだ。
韓国は、日本からの請求権資金と経済協力資金で経済開発を始めたものの、すぐ莫大な対日貿易赤字に苦しむことになる。日本は、韓国に提供した請求権資金と経協規模に比べて貿易を通じて天文学的な利益を得ることになった。構造的に当然の現象だったが、韓国内の不満はたまった。韓国が資本主義の、さらに西方側の(米・日)帝国主義の搾取対象という、社会主義勢力の革命闘争のための論理が作られる。
平壌側はこれを逃さなかった。 平壌側だけでなく、共産圏は社会主義の自立更生体制の北韓と「日・米に隷属された」韓国という扇動構図を完成させた。左傾化した言論メディアらは、これを拡大再生産し、進んで共産陣営の宣伝道具となった。ここでも日本社会各界に根を下した朝鮮労働党日本支部(朝総連)は、日本政界の支援を背景に韓国に対する破壊工作に出た。労働党の在日党を放置した日本は韓国をいじめる立場になった。これは韓日間の葛藤になり、内燃していた。
反面、日本社会は、中共に対しては、共産主義の本性や危険さなどは完全無視し、日本に脅威にならない貧困な低開発国家として対した。そして将来に莫大な利益を期待できる投資対象と見た。東西冷戦の最前線から離れていた日本としては当然のことと言える。そのため、北京側が政治的背景で韓国との関係縮小を日本側に要求すれば、これを拒否できなくなった。北京側が「韓日大陸棚協定の批准は日・中関係に悪影響を及ぼすだろう」と言えば、日本は表には見えない形で北京側をなだめ、満足させることができた。政経分離と全方位外交は日本にとって、同時に日本の支援を受ける立場でも非常に便利な名分となった。
鄧小平が執権してから社会主義市場経済、「改革開放」を標榜するや、日本は中国に大規模の開発援助を始めた。有史以来、最高の好況を謳歌していた時期だったので、水素爆弾と大陸間弾道ミサイルを開発する独裁体制に、開発援助を提供し始めたのだ。中共だけでなく、北韓から弾道ミサイルなど武器を輸入する低開発国家にも日本は円借款の開発援助を拡大していった。日本は影響力の根源である経済力を放漫に使った。
日本は、米国の警戒の対象となり始めたが、東西戦争中だった米国は、同盟国に対して寛大な政策をとっていた。米国は韓国と日本の間で葛藤が大きくならないようにするだけに注力した。
韓日大陸棚共同開発も韓国にとっては切実な問題だったが、経済的に余裕のある日本としては急ぐ必要がない問題だった。
(つづく)