政府が独立有効者を〝再検証〟

虚偽の功績・親北派の排除へ
日付: 2023年07月11日 12時20分

 虚偽の功績を主張した人、または北韓政権に追従したにもかかわらず独立有功者の地位を得た人々に対する「再検証」が行われる。政府は独立有功者叙勲の栄誉と信頼向上に向けて「偽の独立有功者をめぐる議論」を終結させたい考えだ。一方で虚偽の有功者を選り分ける基準が、韓国社会のホットイシューである「親北」「親日」の対立を招きかねない懸念もはらんでいる。

(ソウル=李民晧)

 


独立有功者の功績審査を改善

国家報勲部はプレスリリースを発表し、独立有功者の功績審査基準を国民の視点に合わせる旨を明らかにした。これに向けた功績審査の改善措置としては(1)従来の2審制から3審制への拡大(2)歴史学界に加え、政治・社会・法律など多分野の専門家に拡大(3)北韓政権への貢献度等、親北派の排除基準を設定(4)虚偽の独立有功者をめぐる議論の終結。
朴敏植国家報勲部長官はこれに対し、「偽の独立有功者は断じて容認できない。自由民主主義国家・大韓民国を建てるわけでもなく、北韓・金日成政権の擁立や共産主義革命に心血を注いだ人物を独立有功者として受け入れる国民がどこにいるのか」と立場を明らかにした。
親北派を有功者から排除するという意味だ。この点については、一部の左派を除いて特に異見は見受けられない。朴長官も「(親北派を有功者から排除することは)進歩・保守によって左右されるものではなく、自由大韓民国の正統性に直結する問題だ」と述べた。

疑わしい有功者の例

再検証の対象者は明らかにされていない。ただ、著名人の中で予想することは可能だ。共に民主党の孫惠園元議員の父・孫龍祐氏(1923~99)、金元雄・前光復会長の両親・金根洙(12~92)、全月善(23~2009)氏らが代表的だ。
孫元議員の父親、孫龍祐氏は18年、建国勲章愛族章が追叙された。政府の「功勲電子史料館」に掲載されている功績概要によると、「1940年9月、ソウルで朝鮮文化学院中等科1年に在学中、同級生らに『日本の敗戦を機に朝鮮独立を邁進させるべきだと力説』するなど、排日的発言で民族意識を鼓舞し逮捕され、懲役1年6カ月を言い渡された」と記されている。
ところが、同氏の光復後の功績が物議を醸した。45年12月、朝鮮共産党共産青年同盟に加入し左翼活動を展開したことに続き、「6・25韓国戦争当時、京畿道加平の細胞組織に属していた」という内容が報勲部の記録として残されている。金日成勢力の一味として活動していたのだ。そのため、孫氏の叙勲は6回にもわたって差し戻されたが、文在寅政権時代の報勲処は「(孫氏の光復後の功績に対する資料の)信憑性を確認できなかった」という理由で独立有功者として認めてしまった。
金元雄・光復会前会長の父親、金根洙氏と母親の全月善氏は、独立運動の功績が不明であることが問題として挙げられる。金氏は光復軍で活動した功労により大統領表彰(63年)と建国勲章愛国章(90年)を受勲したが、それぞれの記録に含まれる活動内容には誤りがある。全氏も光復軍としての活動が認められ、90年に建国勲章愛族章を受勲したが、本人の姉、全月順(21~53)の功績を盗用したとして問題となった。

「親日」超えた基準の設置を

国家報勲部は特別分科委員会を設置し、約1万7000人の独立有功者に対する叙勲を再評価する計画だ。特別分科委員会は歴史の専門家に加え、政治・社会・法律の専門家なども加わった約11人の委員で構成される見込みだ。
国に貢献した功績は明らかであるものの親日の是非により叙勲を認められなかった曺奉岩(1898~1959)、金嘉鎭(1846~1922)らの追叙が見込まれている。曺は韓国初代農林部長官かつ独立運動家で、金は臨時政府の顧問を務めた独立運動家であり、中国上海で葬儀が行われた。しかし、両名は独立有功者の叙勲を受けていない。
物議を醸すことが見込まれる人物もいる。親日行為が確認され、叙勲が剥奪されたケースだ。東亜日報社長と第2代韓国副大統領を務めた金性洙(1891~1955)、05年の乙巳條約の屈辱を暴露した後、親日に転向したジャーナリストの張志淵(1864~1921)などだ。「親日」を超えた有功者の基準を作り出すこと。それこそが報勲部に課せられた目下の課題だ。

先月26日、金九74周忌追悼式で追悼の辞を述べる朴敏植・国家報勲部長官(ソウル龍山・白凡金九記念館)


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