いま麹町から 18 髙木健一

北朝鮮訪問①~在韓被爆者との差
日付: 2023年07月04日 13時15分

 前回指摘しましたが、日本政府は韓国の被爆者に対しては、1981年から5年間続いた渡日治療や、90年の盧泰愚大統領訪日時に日本政府が表明した医療支援としての40億円、ほか日本での裁判結果により被爆者健康手帳の交付や健康管理手当の給付など、日本人並みの援護措置が韓国に居住していても受けられるように手配しました。
ですが、同じ広島や長崎の被爆者であっても、北朝鮮の地域を故郷として帰還した被爆者については、何の支援もなく放置されているのです。

私は日弁連の人権委員会に設置された在外被爆者問題調査委員会の委員長として2002年6月23日から27日まで訪朝し、平壌で北朝鮮の被爆者調査を行いました。合計14名の被爆者と個別面談をしたのですが、それぞれ病気に苦しみ、韓国や日本の被爆者と同じように支援をしてほしいと訴えていました。
なかには医療が不十分のため、部屋の中で硫黄を焚いて、その煙を浴びるという民間療法に頼る人もいたのです。
北朝鮮被爆者の協会によると02年頃、北朝鮮には928名の被爆者が生存しており、渡日治療や病院建設及び補償を要求していました。日本政府も01年3月13日から調査団を北朝鮮に派遣し、医療機器や医薬品などの支援を検討していたのです。私たち日弁連としても医療面の支援を中心に、北朝鮮の被爆者支援について日本政府に具体的に要望しました。
そのように環境整備を行っていたのをふまえて02年9月に小泉首相の訪朝があり、順調にいけば在朝被爆者に対する上記の医療支援はひとつの目玉になる予定だったと思います。
しかし、この小泉訪朝時に金正日国防委員長が日本人拉致の事実を認めたため、日本の世論が沸騰し、日朝国交回復や在朝被爆者支援どころでなくなったのは、北朝鮮の被爆者にとって誠に残念なことでした。

次に私が11年8月17日から20日まで拉致問題で訪朝した際、北朝鮮被爆者の協会では日本での裁判提起を望んでいるという話を聞きました。そこで翌12年3月29日、大阪の弁護士とともに再び訪朝しました。このとき協会において約10名から詳しく聞き取り、陳述書を作成したのですが、その中には日本の被爆者手帳を持っている被爆者もおり、韓国人被爆者と変わりなく裁判ができると思われました。
このように北朝鮮の被爆者協会は裁判提起を望んでいましたが、その上部機関で拒否されたため実現しませんでした。
いずれにせよ、戦争被害者の救済に取り組みつつ、日朝関係が前進することに期待したのですが、結果が実らず、より悪化したのは色々な面で不幸なことでした。もともと、日本は戦後独立を果たしたサンフランシスコ講和条約第4条で北朝鮮の地域での財産権(郵便貯金など)について、その地域で施政を行っている当局との間で「特別取極」を締結しなければならない義務を負っています(「いま麹町から4」参照)。これは国際社会に対して日本が独立するための必須条件だったのです。
ところが、日本はこの義務を70年間も放置しているのは弁解の余地もないことです。

北朝鮮在住の広島や長崎の原爆被害者についても、日本の国内法である被爆者援護法が適用されます。この法律には国籍条項はなく、韓国でも北朝鮮でもいずこにいても援護を受けられることになっているからです。
韓国においては上記のように大きく進展しましたが、北朝鮮では何の動きもないのも残念なことです。被爆者一世の生存者も高齢化によりだんだん少なくなっています。日本は拉致問題ばかりではなく、多方面からの北朝鮮に対するアプローチが必要だと思います。


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