新解釈日本書記「続」応神 幻の大和朝廷 第5回

日付: 2023年06月27日 10時38分

 イザナギはやっとの思いで、竹野川河口に到着し、竹野川を遡り、流域の未開の原野を眺めながら、意を新たにしたと思われ、イサナゴ嶽を本拠地として住み着き、稲作を伝え、周辺の土地を開拓したと考えられる。おそらく、力を蓄えることに心を砕いたことであろうと思われるのだ。そうするうちに、野田川を下って、天橋立を通り、籠神社奥宮の真名井神社鎮座地あたりに定住した。そして、その地に先住していたイザナミと夫婦になり国づくりに励んだということだ。
そうなると、日本国は、丹後半島から始まったということになる。『古事記』や『日本書紀』の記述する大和始原の百済系大和朝廷は、ずっと後のことだ。大和朝廷以前の新羅系王朝、つまり、イザナギ王朝、あるいはアマノヒボコ王朝の存在を否定し、真っ赤なウソを記述した史書ということになる。
イザナギは歎いているように思うのだ。「真実の歴史を見極めてほしい。日本人なら、なおさらのことだ。ワッシの子孫なら、ワッシのことを正しく知ってほしい」と。

イザナミ(伊弉冉)は烏丸系朴赫居世(新羅始祖)の一族

ところで、イザナギと一緒に日本の国を造ったとされるイザナミだが、夫より先に黄泉の国へ旅立ったということだ。そのイザナミは、どのような人(神)格であったのか。
諸々の文献を参考に徹底探索してみると、驚いたことに、新羅の始祖とされる朴赫居世の一族であることがわかった。その朴赫居世一族は、烏丸種族とされているのだが、烏丸族は、中国戦国時代に北方草原を席捲した騎馬民族の東胡族の一員で、後に匈奴に攻撃されて、烏丸と鮮卑に分裂したという。朴赫居世集団はその烏丸族から前漢時代に分かれて、韓半島に南下した一族とされている。イザナミは、その烏丸族の出自だったと見られるのだ。
日本国の始まりは、九州糸島半島や出雲、伯耆、但馬、丹後、若狭などの山陰海岸に来着し、入植した新羅系、伽耶系の渡来人によるもので、それを新羅系山陰王朝と総称するのだが、その王朝は、スサノオ王朝、ニギハヤヒ王朝、アマノヒボコ王朝などが存在していた。なかでも京都の丹後のホアカリ王朝が重要な立ち位置にあったと思われる。
それに対して、百済系大和王朝は西暦400年前後に、高句麗広開土王(好太王)に撃破された沸流百済が倭地亡命して樹立されたものだ。その亡命ルートは、『日本書紀』に記されているイザナギとイザナミによる島生みの大八洲生成ルートと考えられる。


閉じる