坡平尹氏の偉人 尹拯(ユン・ジュン)

朝鮮時代の老論と少論の対立
日付: 2023年06月06日 13時02分

 尹錫悦大統領の家系は坡平尹氏(パピョン・ユンシ)に連なる名家の出自。ここでは9代祖に当たる朝鮮時代の儒学者、尹拯の事蹟に触れよう。
国の重要文化財に指定されている忠清南道論山市魯城面の「明斎(ミョンジェ)故宅」は尹拯の旧宅として有名だ。
尹拯は党色でいうと老論から分岐された少論の領袖であり、師匠であった宋時烈(ソン・シヨル)と激しく対立した。父親の墓誌銘を納得できるかたちで提示してもらえなかったため、師弟は袂をわかった。しかし宋時烈が政争で斃れると、尹拯は死ぬまで白装束で日常生活を過ごした。「白衣政丞」と呼ばれている。
もとは盟友であった宋時烈と尹拯の父・尹宣挙(ユン・ソンゴ)は、儒教の教義をめぐり相反する立場を支持した。党色を異にする南人との交流を尹宣挙が続けたこと、丙子胡乱で江華島が後金軍の襲撃を受けた際に妻子を置いて逃げ帰ったことなどが宋時烈の怒りを買い、関係は悪化した。
尹拯は9歳のとき父と共に命からがら難を逃れたが、その後の人生では父の名誉のため、かつての師との闘いを続けた。政争で宋時烈が落命したのを機に、白装束での日々を始める。朝廷からの召請には応じず、講学活動に専念した。
彼らの学閥少論は後代に陽明学にも接近し、独立運動家を輩出する。老論に固陋なイメージが伴うのに対し、現実に直面した儒教の援用を積極的に模索した一派であったとされる。


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