いま麹町から 17 髙木健一

韓国人原爆犠牲者慰霊碑~日韓首脳による参拝
日付: 2023年06月06日 12時56分

 本年(2023年)5月21日、岸田文雄首相と尹錫悦韓国大統領がそろって韓国人原爆犠牲者慰霊碑の参拝をしました。
1945年8月6日の広島と8月9日の長崎に米軍が投下した原子爆弾により、70万人と言われる被爆者に対して、約1割の7万人の朝鮮人が被曝し、うち4万人が死亡したといわれています。
その韓国人被爆者に対する慰霊碑は70年に建立されました。最初は平和記念公園内への建立が認められず、公園外にあったのですが、「民族差別の象徴」との声があり、有名な平岡敬広島市長の時代の99年7月に公園内への移設が認められました。
この慰霊碑に日韓両首脳がそろって参拝したのですが、私にとっても感慨深いものがありました。

私が韓国原爆被害者協会の辛泳洙会長と初めて会ったのは85年頃でした。
当時、日本には韓国の被爆者を支援するグループが長崎、広島、大阪に熱心な支援者はいたのですが、東京にも必要でした。軍事政権下の韓国の状況からサハリン残留韓国人問題で韓国政府ともパイプのある存在であった私に支援を求めてきたのです。
辛泳洙会長は在韓被爆者の立場で、日弁連人権委に救済の申立てを行い、私はこの委員長になりました。

また、当時問題となっていた渡日治療(在韓被爆者が広島や長崎の原爆専門病院で治療を受けること)打ち切りなどの問題について取り組むため、88年3月に東京で在韓被爆者問題を考えるシンポジウムを開催。さらに、東京に在韓被曝者問題市民会議を発足し、その代表となったのです(上記シンポジウムについて「在韓被爆者問題を考える」凱風社88年9月発行)。
そして早速、渡日治療を継続させようと日韓の各方面に働きかけたのです。
渡日治療は韓国の被爆者にとって意味のある施策でしたが、韓国の民族心にとっては自国の医療レベルをけなされているかの如くとらえられ、プライドを傷付けられるものでした。私は日韓両政府の関係機関の間を走り回って説得したのですが、最終的には民族の自尊心がまさってしまったのです。

結局、渡日治療は中止となったのですが、その後、日本政府は治療費補助として40億円を拠出し、その後も支援を続け、日本人被爆者との差をなくしていったのは幸いです。
そこで残ったのは、朝鮮人被爆者です。そのため日弁連では、在韓被爆者から在外被爆者に名称を変え、北朝鮮の被爆者問題も扱えるようにした上で、私は北朝鮮に行くことになったのです。
※北朝鮮での調査活動については次号でお伝えします。


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