■”幻の大和朝廷”をデッチあげた
日本古代史の正史とされる『日本書紀』、宇治谷孟現代訳の講談社学術文庫であったが、はじめて目を通したとき、その支離滅裂な内容に驚いてしまった。そして、「朝鮮書紀」といってもいいほどに、韓半島関係の記事が多いことだった。しかし、残念ながら、その当時の私には、日本書紀の内容を理解する学識が備わっていなかった。それからというもの、古代史関係の本を手当たり次第に読破した。以来、40年が経過した。おかげで、少しばかり、古代の姿を思い描けるようになってきた。
その結論は、『記・紀』(古事記と日本書紀)の世界は、作られた世界だということである。その虚構の世界を、為政者と曲学阿世の徒が、幾多の詭弁を弄して創りあげてきたのが、日本の現在の定説とされる古代史である。そのため、『先代旧事本紀』や『但馬故事記』、あるいは『海部氏系図』などが偽書扱いされ、ホアカリ(火明)=ニギハヤヒ(饒速日)を抹殺してしまった。
日本の古代史の真実は、大和朝廷以前に、山陰海岸に展開された出雲、但馬、丹後、若狭、それに糸島半島などの王朝が先行していたのだ。ところが、沸流百済によって突如、樹立された百済系大和王朝が、それ以前に存在していた新羅系山陰王朝の事績を簒奪して、”幻の大和朝廷”をデッチあげたのだ。
正史『日本書紀』が、神武王朝に始まる大和朝廷をデッチあげたことから、その大和朝廷が実在したかのごとく記述しているのが、日本の古代史というものだ。しかし、その大和朝廷は”幻”であったということだ。
■神々の原郷は韓地夫余にある
古代にあっては、物品や技術などは人と共に移動したと考えられるのだが、日本史学界の思考はそうではない。大和朝廷があって、韓地の物品や技術を受け入れたという思考に徹している。つまり、”幻の大和朝廷”をデッチあげて、物品や技術の受け皿としている。
神々の原郷が夫余にあることが、それを傍証する。それは、日本(倭国)の始まりが渡来人によるものであることを立証するものであり、渡来人が、後に続く渡来人の物品や技術を受け入れているという状態が続いているに過ぎない。
換言すれば、倭国、つまり大和朝廷があって、渡来人や物品、技術を受け入れているというものではなく、倭国(大和朝廷)は、渡来人そのものによって創られ、様々な物品や技術が持ち込まれ、発展してきたということを意味しているのだ。