■序言
日本の古代史を知るために、まず『日本書紀』を読むことにした。読み始めて気づいたことは、「日本の歴史書なのに、なぜこれほどまでに朝鮮のことが記されているのか」ということだ。まるで「朝鮮書紀」だ。
古墳などの遺跡が発掘されると、大陸からの影響が云々される。しかし大陸とは中国をイメージするもので、韓半島からの影響があったとはほとんど活字にならない。それゆえ、日本の歴史は中国からの影響が大きな比重を占めるものと認識させられていたように思う。
日本書紀は朝鮮書記ではないかという疑念が生じて以来、さまざまな歴史書や解説書を通読した。以来40年、私の齢は高齢の域に達してしまった。そして、得た結論は、日本書紀は史書ではなく小説だということだ。
日本書紀には、韓(朝鮮)半島に関連する記事で覆われていて、中国関連のものはごく少数であるにもかかわらず、日本史学界は中国の影響を喧伝する。その”韓隠し”が恣意的に行われていると感じた。
さらに日本史学界の論調は、巨大な大和朝廷によって倭国が早い時期から韓半島南部を支配していたというものだ。当然の法理であるかのごとくに「大和朝廷論」を振りかざして、神功の”三韓征伐”などと大言壮語している。
換言すれば、”幻の大和朝廷”を作り上げて、欠史8代や騎馬民族説などのことはおかまいなしに、縄文時代から続く日本列島自生論の歴史を滔々と論述しているのだ。これは錯誤の歴史を吹聴しているとしか言いようがない。
神武から始まり持統で終わる日本書紀を徹底解読した。初代神武から第9代開化までを欠史9代、また神武は実在したとして第2代綏靖から開化までを欠史8代とする史観があるのだが、初代の神武が実在し、それ以後の8代が実在しなかったというのはいくら考えても不条理な論述だ。
397年、高句麗広開土王(好太王)に撃破された利残国(沸流百済)の王族が倭国に逃れて大和に侵寇し、百済系大和王朝を樹立した。それが、応神王朝だ。応神王朝は、当時の大和の地の領導者であったろうと思われる和珥氏族との両面王朝であった。そして、自らの存在を黒子にして、それ以前に散在していた新羅(伽耶)系山陰王朝の事績を簒奪して、悠久の昔から倭地に存在していたかのごとく偽装した。それは、和珥氏族を取り込んでのものだった。
それ以後の歴史は、百済系大和王朝と新羅系大和王朝との相克関係となり、不安定な状況が継続されていくのだが、巨大なパワーを有する大和朝廷というものは、まったくの”幻”であったということだ。
本書は、そうした”幻の大和朝廷”を、歴代王朝ごとに具体的に見ていきたいと思っている。