2023年5月7日、岸田文雄首相は日本の首相としては久しぶりに韓国を訪問し、尹錫悦大統領と会談をしました。この会談後の岸田首相の発言は注目されていました。
しかし、岸田首相は「当時、厳しい環境のもとで多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む思いだ」との発言をしただけでした。「当時」とはいつのことなのか。「厳しい環境」とはどんなものだったのか。誰がつくった「環境」なのか。全体として戦時下の自由のない中での強制連行(統制募集、官斡旋、徴用)が実施された状況もいうのか。加えて配置された労働場所で長時間の強制労働、食糧不足、逃亡防止措置、さらに逃亡者に対する制裁などを含めた「厳しい環境」をいうのかが分かりません。
そしてそのような環境の下で、「多数の方々が大変、苦しい、悲しい思いをされた」とは、何だったのか説明が必要でしょう。
意にそわぬ強制連行により、新婚の夫が連れ去られ、残された妻子の労苦にまで思いをはせているのでしょうか。親孝行を絶対視する韓国において3代続いた男子1人のため、次代に続くためには男子を設けることを期待されていた新婚夫がサハリンに連行され、帰れずにいた夫と妻の労苦を聞いたことがあります。「厳しい環境」のもとの強制労働は「大変苦しい」ものであり、逃亡や強制労働下での死亡もあり、「悲しい思い」は本人だけでなく、妻子などにも及ぶのです。
重要なのは、「当時」そのような「厳しい環境」を作ったのは、日本国家であり、日本企業だったことです。「多数の方々」に「大変苦しい、悲しい思い」をさせたのは日本国家と日本企業だったのです。
それなら、日本国家を代表した岸田総理は「厳しい環境」をつくった責任を認め、労苦と悲しみをもたらした国の責任者として、潔い謝罪があってしかるべきだったと思います。そうすれば、この問題は決着へ向かって大きく前進することになったと思います。中途半端な発言をしたままでは上述のように山のような質問を投げかけられます。
日本の中には韓国人がいつまでも謝罪を要求してくると文句をいう人がいますが、そうではないのです。事実を一部認めながら、中途半端なまま放置し、責任と謝罪まで言及しないために追及を継続せざるを得ないのです。
最近は「侍ジャパン」と日本代表の野球チームに命名することもあるようですが、あるべき「侍」とは、本来高潔で誇り高い存在を言い、武士としてあるべき「心根において潔さ」を求めるものと言われています。つまり「侍日本」の最高地位にある政治家としてまさしく「心根において潔さ」を示してほしいのです。勝つときだけでなく負けるときもあります。負けたときの潔い心根こそ見たいものです。
そもそも日本が戦争に負けたとき、戦争に肯定的で国民を導いた指導者と軍部は敗戦後「侍」としての潔さを示したのでしょうか。日本の戦争の被害者となった韓国・中国そしてアジアの人々に「大変苦しい」ことを強いた、「悪かった」と謝罪した政治家やリーダーは存在したのでしょうか。このような潔さを示さない限り、日本はいつまでもアジアに対して借りを負い続けることになると思います。
日本国憲法前文は「圧迫と偏狭」を行った過去に向き合い、責任を認め、償うことは普遍的な政治道徳であると謳っていると私は考えています。
そのためにも韓国人を日本の政策のため「厳しい環境」のもと「大変苦しい」労働をさせたことに「悪かった」と謝るという当然のことを潔く表明すれば、被害者側も大きく納得すると思います。