大韓民国の建国史301

金日成が最も嫌うことを平壌側に強制した大韓民国
日付: 2023年02月07日 11時49分

朴大統領の決断墓参団事業の目立たなかった戦略的意味とその隠された力を当時、注目した媒体はほとんどなかった。
自由民主体制は、全体主義との戦いで弱点を見せることが多いが、個人が自由の価値を覚醒するときに発揮される力は、全体主義体制の洗脳と暴力を粉砕する。建国大統領の李承晩大統領と反共軍事革命を導いた朴正煕大統領は、自由民主体制の真の価値、強さを信じた。
韓半島の完全赤化を追求する朝鮮労働党の立場では彼らの日本支部は死活的に重要だった。戦略的に敵地に構築した戦線司令部であり、文明史に展開される東西冷戦の状況と環境を最大限利用した。 世界中の社会主義陣営と固くつながった日本の左翼勢力と彼らのインフラは、そのまま朝鮮労働党日本支部の資産となった。
反面、東西冷戦の最前線に立った大韓民国はこれに対抗するほどの手段がなかった。朴正煕大統領は、米国の冷戦戦略においても不可欠だった韓日国交正常化をもって、共産陣営の攻勢に立ち向かい、戦略的反撃の機会を窺っていた。国交正常化後、日本各地に韓国公館が開設され、領事業務を通じ、在日韓国人に対する朝鮮労働党日本支部の掌握力を無力化、破壊し始めた。
彼らがスターリンの植民地だった平壌側は、むしろ韓国と日本を米国の植民地だと言い、政治戦争を展開してきた。したがって共産陣営のこのプロパガンダを粉砕するのは韓国だけでなく、自由陣営全体に極めて重要な課題であると同時に大きな負担だった。
韓国政府は、日本が舞台となる南・北韓の冷戦対決で、朝鮮労働党のような組織とインフラがなかった。大韓民国を支持する在日民団は、一部の核心組織員が金日成と日本社会が共謀した「北送工作」に対抗した経験があるのみ、戦後の日本社会の席巻した左翼との全面対決には限界があった。
このような状況で、韓日国交正常化で永住権取得(韓国国籍取得)運動と続いて展開された朝総連系に対する人道的事業・墓参団事業は、在日民団が全国的に組織を拡大、整備する契機となった。もちろん、民団には体系的な政治的訓練体制などなかったが、共産全体主義体制に対して攻勢に出た。普段、朝総連(労働党日本支部)の攻勢に苦しんできた民団員たちは、初めて隣人に住む朝総連系同胞たちに接近、韓国訪問を勧誘した。
韓国を母国と思う人々としては当然な行動だったが、これまで韓国は、米国の植民地で貧しく悲惨な状況だと宣伝、洗脳してきた労働党党員たちは、接触を避け逃げ回るしかない状況となった。朝鮮労働党日本支部は、聖墓団事業の恐ろしさを本能的に分かった。
解放後、分断と戦争を経ながらいつも理念的に政治宣伝戦で攻勢だった平壌側は、「墓参団事業」を契機に完全に守勢に追い込まれた。大韓民国の反撃(墓参団事業)で、朝鮮労働党が長い間、宣伝扇動や洗脳を通じて構築してきた基層組織があえなく崩壊し始めるや「在日党」(朝総連)は平壌に緊急対策を訴えるようになる。基層組織の結束のため、朝総連系の共和国(北韓)訪問の許可を懇願することになったのだ。
東京の「在日党」の建議・懇願を受け入れることは、全体主義独裁体制としては最も恐ろしく避けるべき、外部世界との接触、それも資本主義先進国に住んでいる人間に平壌訪問を許さねばならないことだ。朴正煕の大韓民国が、共産全体主義体制・神格化した首領独裁体制が最も嫌うことを強制するようになったのだ。
(つづく)


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