ノースコリアンナイト80

悲しみを乗り越え果たすべき責務
日付: 2022年10月25日 13時36分

人が持っている記憶と習慣に関連する機能について、しばし考えにふけるときがある。
毎年10月末ごろになると、私は未だに小さな不安にさいなまれる。北朝鮮にいた、今時分の記憶が原因だ。一年のなかの収穫期を迎え、過ごしやすい天候だが、そこから得られる喜びはなかった。朝晩の冷え込んだ空気から、冬が間近に迫っている気配を感じると、この冬をどう乗り切ったらいいかという心配が、人々を憂鬱にさせる。町の空気が重くなっていく時期なのだ。
この10月に感じる「そわそわ感」を、しかし今年はあまり感じないで済んだ。連日報道されている、北朝鮮関連ニュースのせいだ。北朝鮮は最近、大体2日に1回ぐらい、ミサイル発射と砲射撃訓練を行っている。
世界はまだ、コロナ感染によるパンデミック中だ。また、ロシアが引き起こしたウクライナ戦争で、世界的な経済不安が増している。世界の良識ある人々が、今の大変な現実をどのように平和的に解決するかと悩んでいるときに、北朝鮮と中国はまったく反対の動きを取っている。
未だに「世界で一番心優しく、偉大なる首領さま」だと北朝鮮住民を教育し、「万歳」を叫ばせている金氏一族は、人類史に例がないほどの図々しい者たちだ。この図々しい者の周りには、良心も恥も知らない同じ部類の人間が多いのだ。

ドンスの隣人も、この部類だった。自分の欲求を無制限に膨らませ、それを他人に行使することに快楽を得て、さらなる快楽を追う者たち。
彼らが、待ちに待ったときが来た。ドンスが死んでも、ドンスの両親は帰って来なかった。死は終わりではなく続きがあるという事実は、人の死を前にした私を、これまでとは違う気分にさせた。
もちろんドンス自身が私には、これまでとは違う人だった。彼は家族ではないが、かといって見ず知らずの他人でもない。ドンスとのこの数日間は、私が人間だということを再認識させてくれた。
組織から命じられた「遺体処理任務」のときには、同情や辛さや怒りは、その日だけ感じるものだった。今だったら違ったかもしれないが、当時は生活の厳しさとそこから来る無気力さからか、常に自分中心で、考えられる範囲も狭かった。
しかしドンスに対しては、本当の心の痛みがあった。その痛みは家族に感じるものとは違ったが、確かに存在した。ドンスと久しぶりに会ってから、彼の容体を看ている間もずっと、この痛みを感じていた。そして憤怒もレベルが違った。それに何といってもドンスの死後に彼から頼まれた任務がある。
悲しさと一緒に、何か明確ではない恐怖が私の唇を震わせた。この時の怖さの正体を、私は何年後に悟ることになる。立てた膝の上に頭を乗せ、次に何をするか必死に考えた。
隣にいたジョン先生が、私の肩に手を乗せながら「こんな時こそしっかりしないと」と言って来た。言葉に力があった。それでも私の体からは力が抜けていき、横になりたかった。吐き気がしてきて、だんだんひどくなってきた。震える足で立ち上がり、台所へ行って水を飲もうとしたが、震える唇のせいか口の中に少ししか入らなかった。ようやく顔を冷たい水で濡らした。
職場の責任者が台所にいる私の背中に「外に出て来るから、何からしたらいいのか考えておいて」と冷たい空気と入れ違いに出ていった。
私は部屋に戻って、ドンスの隣へ立った。今までマッサージをしてあげていた彼の手をすぐには握れなかった。布団のなかにドンスの手を入れ、首まで布団を掛け直してあげた。部屋にいた人たちに「夜には窓を開けて、ドンスの両親が帰ってくるまで葬儀はしないつもりです」と伝えた。友人が「それは死の発覚を遅くすることなの?」と質問して来た。
私はすぐに返事ができなかった。前もっていろいろな事を考えた気はするが、もう何も思い出せなかった。ドンスの死の発覚を遅くする工作が万が一ばれたら、私たちはもちろん人民班長までが大変なことになるのだ。


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