2022年9月9日金曜日、夕日がまるで燃えるような黄金の光を放った。窓辺に立ってじっと見つめていると、様々な想いが去来した。前日にお亡くなりになった英国のエリザベス2世に対しては「特別な人生を生きてこられた女王は最期に何を考えたのか」とか、「今日創立74年を迎えた北朝鮮の金正恩と住民はどんな思いであの夕日を見ているのか」など。
明日は韓半島のお盆「秋夕」だ。祖先の墓参りに行く兄弟や親戚はいるのだろうか。もしかして主のいない墓になっているのではないか。地球の反対側にも行ける日本にいて、もっとも近い北朝鮮には行けないとの考えに至ったとき、夕日を眺めるのをやめた。しばらく黒い円形が視野に残り、何も見えない状態になった。目をつぶってドンスを思い出した。優しい子、いい子、強い子、生きていたらどんな男性になって、何の仕事をしているだろうか。
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出勤して朝会に参加した。朝会はまず、北朝鮮労働党機関紙「労働新聞」の朗読から始まる。朗読者に選ばれるのも出自が関係するので、私はずっと聞く側だった。出自のせいで良かったと思うことのひとつだ。嘘だらけの卑怯な内容の文章を読まずに済むのだから。視線を前に座っている人の背中に固定して、昨晩に人民班長から聞いた話を思い出していた。その内容を整理し、隣家への対応に役立つと思ったからだ。
大きな声で丁寧に読まれている労働新聞の内容は、頭に入ってこなくなった。しかし大変なのは、党秘書が新聞の内容を質問してくるときだ。そのために普段は、嫌でもきちんと聞かないといけない。これも私たちを洗脳する一つの方法だった。
昨晩は、最も疑問に思っていたことを人民班長に聞いてみた。
「隣家は、現在2世帯が住まないといけないはずの家に1世帯で住んでいるのに、さらにドンスの家も必要な理由は何ですか。若い夫婦と子ども1人だけで、なぜそんなに大きい部屋が必要なのでしょう」
北朝鮮の地方では、中間幹部はたいてい10坪ほどの家に住んでいた。ドンスのアパートも5坪のいいアパートで、一般人からみれば上のレベルだった。5坪の家に大人4人で暮らしていれば、それは羨望の的だった。隣家は約10坪に3人で、一般人には宮殿のような暮らしに思えた。それなのにまたドンスの家も欲しがっている。その理由が知りたかった。
当時は極度の経済難の最中だったし、隣家の17歳になるかならないかの子が、死を待っている状態であることも知っていた。しかし、人民班長の答えは衝撃だった。日本で言う「衝撃」は、北朝鮮では普通以下のニュアンスだ。北朝鮮の人が感じる「衝撃」は、日本語で何と訳せばいいのかわからない。裏を返せば、人々が「衝撃」に対する耐性が高い社会ほど、人権不毛地帯ということになるのだろう。
「若夫婦の両親はxx区域に住んでいるの」
咸鏡南道のナンバー10ぐらいまでの幹部と、お金と権力がある帰国者らが住んでいる有名な地域の名前が出た。隣人の両親の家の大きさとイメージが、すぐに頭に浮かんだ。私はその街をよく知っていた。
その地域の家は、1階と半地下と大きな庭があって、デザインは日本式だった。幹部宅も大きくて立派だけど、帰国者たちの家はさらに立派でデザインが美しかった。そういう家々では、大体家政婦を2人は雇っていて、一般人は想像もできない暮らしをしていた。私の夫の家も、街では有名な金持ちで、権力もあった。夫の母はその地域に家を建てたがったが、夫の父が大反対で叶わなかったのだ。夫の家はその地域に知り合いが多く、よく遊びに行ったり来たりしていた。人民班長は続けた。
「隣家の両親の家は大きいけど、建てる時に下水道工事が雑だったらしいの。こっちは昔、ドイツ人が設計と監督をして建てたアパートで、下水道設備が整っていると有名でしょう。それで、大人数で集まるときのために欲しいんだって。ドンスの家があるところには、お風呂場とトイレを作る計画みたい」
(つづく)