ノースコリアンナイト76

人民班長の母としての苦労を知って
日付: 2022年08月30日 13時48分

今年発足した韓国の新政権が迎えた「光復節」77周年。その日に行われる韓国大統領の慣例の演説が、当たり前に日本でも報道された。日本のメディアは日韓関係の方針が読み取れるので注目するが、私は南北関係に関心を寄せていた。知らないうちに韓国新政権に対する期待度が高くなっていたようで、北韓関係の内容にはかなり失望した。
光復節77年というワードは、私の頭の中で「分断77年」に変換される。韓半島分断の現況は、私をとても悲しくさせている。兄弟や夫と二度と会えないまま人生が終わるのではないかと思うと、とても怖い。日本に住んでいる在日コリアン、特に「北送事業」で離散家族になった人たちの気持ちも私と同じだろう。

夜中の2時頃に人民班長が静かにドアをノックし、返事をする前にドンスの家に入ってきた。そのとき、すでに人民班長に対する私の気持ちは「尊敬」に変わっていた。北朝鮮では、あまりにも酷い経済状況下で親が子どもを見捨て、また子どもが老いた親の面倒を看られなくなるという「やむを得ず」が蔓延していた。この言葉は、もともと存在した不道徳さえもすべて糊塗してくれた。
しかし人民班長は違ったのだ。私は少しだけではあるが知っていた。人民班長が障害を持っている娘を守るためにどれほど苦労しているのかを。その苦労の大きさは、私を含め経験していない人には絶対理解できないものだ。北朝鮮では、親が子どもを守るということは、単なる概念ではなく人間であることの証明でもあった。
その人民班長の姿を見て、自分を反省した。彼女のように人間性を守っていく強い気持ちも出来た。私は人民班長の手を取って、ドンスの近くまで連れて行った。私たち二人はしばらくドンスを見下ろしていた。私に顔を向けた人民班長の目には涙がいっぱいだった。
人民班長は「ごめんね。理解してちょうだい。私も娘を産んだ以上は、できるところまではしてあげて、あの世に送りたいの。ごめんなさい」と涙を流しながら言った。「すみません。そうでなくても大変なのに、追い詰めてしまって。悪く思ったりして本当にすみません」と私は素直に謝った。すると「わかります。理解していますよ。これ以上、お互いに謝るのはやめにしましょう」と私の手を握りながら言い、「あなたもこの時局下でドンスの面倒を看るなんてご苦労様」とねぎらってくれた。もう少し彼女と話をしたかったが、明日から出勤しなければならず、時間もないので本題に入った。
「ドンスがこの家を守りたがっています。自分の母と父が戻ってくる前に隣家の人たちに家を奪われることを防ごうとしました」
「優しい子ね。こんな状況になって、しかも子どもなのに」
人民班長は再びドンスに目を移すと、そうつぶやいた。そして「私には隣の人たちを止める力はないの。でも少し遅らせることはできるかもしれないわ。ドンスの親が早く戻ってくれればいいんだけど」と言う。私たちと同意見だった。そして、「ドンスの親がドンスが亡くなる前に戻って来なかったら、あなたたちと私とで力を合わせてドンスの死を隠してみましょう。もし失敗した時は、責任を取れないけれど。それでいいかしら」と提案してきた。私は同意した。
「私も娘のこともあって隣の家と仲よくしているけれど、彼らは人ではないわ。日本の親戚が送ってくれるお金で権力を買収してやりたい放題、悪魔なの」と体を縮こませて話してくれた。それから彼女は、隣家の住人に気づかれないように静かにドアを開けて、忍び足で帰って行った。
日本にいる隣家の親戚は、なぜ大金を送って、私たちにこんな苦しみを与えるのか。私には無縁の遠い日本の人を恨む気持ちが湧いてきた。その人に罪がないことはよく分かっていたが、憎むしかなかった。
  (つづく)


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