朴正煕大統領は、非常事態の宣言に至った背景を国民に説明する際、事情を率直に説明しようとした。だが、米国の強力な反対で最終的に修正された特別宣言文を読んで、いざ話したかった言葉が言えなかった心情を「骨がないこんにゃくだ」と一人で呟いたという。
朴大統領のすべての政策は、平壌の金日成を意識してのことだった。事実、朴大統領はすでに金日成に体制競争を提案していた。1970年の光復節(8月15日)のとき、「どの体制が良いか善意の競争をしよう」と提案した。韓国の経済開発5カ年計画と、北側が推進する経済発展6カ年計画は76年に終わる。
北側の人民経済発展7カ年計画(61年から67年)は中・ソとの関係悪化で援助を受けられず、3年を延長しても目標を達成できなかった。だが、70年、中・ソとの関係が改善され、新しい6カ年計画を樹立し、「工業の主体性」を強調した。要するに「自力更生」だ。朴大統領は輸出を通じて活路を開くが、金日成は閉鎖的な「自力更生」を選択した。こうして南・北韓の運命は分かれる。
ところが、ニクソンの訪中は朴大統領の戦略を根底から揺るがした。この激浪への対応、朴大統領の覚悟が「10月維新」だった。 「維新憲法」を制定、第4共和国大統領に就任した朴大統領は、73年1月12日、年頭記者会見を通じて重化学工業への転換と国民の科学化を宣言した。
「10月維新は(中略)5・16(革命)とその基調を共にしている。(中略)我々自らの力でわれわれの進路を設定し、民族の安定と繁栄を成し遂げ、平和的な統一を促進しようとすること」と定義した。「10月維新の目的は、国力の培養と国力の組織化であります。したがって、”維新課業”を遂行していく上で、国力培養を阻害する要素を私たちが果敢に是正していかねばなりません。(中略)政治や経済、社会、文化、教育、その他すべての分野においても同様です。(中略)」
朴大統領は国民に希望と目標も提示した。
「80年代の未来像」というタイトルで、数字を提示し具体的に詳細に説明した。基本目標について「われわれは80年代の輸出目標を100億ドルまでしよう、つまり一人当たりのGNPを約1000ドルまで引き上げようということです」「私は今日、この場で 2つの重要な宣言をしたいと思います」と言った。
「わが国の工業は、もう重化学工業時代に入りました。したがって、政府はこれから重化学工業育成の施策に重点を置く、重化学工業政策を宣言するところです。もう一つは、今日この場で、国民に私が提唱したいのは、これから全国民の科学化運動を展開しようということです。誰もが科学技術を学び、覚え、開発せねばなりません。そうしてこそ、国力が急速に伸びることができます。科学技術の発達なしに、われわれは絶対先進国家になれません」
「80年代にわれわれが100億ドルの輸出、重化学工業の育成などの目標を達成するためには、汎国民的な科学技術の開発に総力を集中せねばなりません。小学校の児童から大学生、社会人まで男女老少を問わず皆が技術を学ばねばなません。そうしてこそ国力が早く伸張します。80年代初めに100億ドルの輸出目標を達成するには、全輸出商品で重化学製品が50%をはるかに超えねばなりません。そのため政府はこれから鉄鋼、造船、機械、石油化学などの重化学工業の育成に拍車をかけ、この分野の製品輸出を強化しようとしています」
(つづく)