安倍晋三元総理が凶弾に倒れた。二度も総理を務め、今も熱狂的な支持者を持つ現職国会議員が遊説中に銃撃された今回の事件は、日本史に残る暗殺テロ事件だ。加えて犯行に及んだ山上徹也容疑者が政治・思想的な動機ではなく、安倍氏と関係があったと見られている「旧統一教会(世界平和統一家庭連合)」に対する怨恨を犯行動機としたことから、極めて特殊な事件といえる。安倍氏と統一教会との関係については他に譲るが、あまり語られないのが統一教会と北韓との関係だ。
統一教会の教祖である文鮮明氏は、もともと現在の北朝鮮・平安北道の生まれだ。文鮮明氏は1968年、ソ連・中国を代表とする社会主義国家の覇権拡大に対抗するため、反共団体・国際勝共連合を設立。同連合には、反共・保守を掲げる日本の歴代の重鎮たちが関わった。当然ながら、社会主義体制の北韓とは長年対立していたが、文鮮明氏は91年に電撃的に訪朝し、当時の金日成主席と会談して和解。それ以降、密接な関係を築いてきた。訪朝時、北朝鮮メディアは文鮮明氏を「平和の使者」と持ち上げた。宣教方法が問題視され、さらに反共を掲げる宗教団体の教祖と手を組むことに対して、朝鮮総連のごく一部からは疑問の声が上がったが、北韓本国の方針に異を唱えることもせず、ただ平壌の方針を正当化するのみだった。98年には、統一教会系の企業と北韓当局の合併によって平和自動車が設立された。平和自動車は2012年に生産が中止されたが、両者の関係はその後も続いていることを、金正恩総書記が明らかにする。15年8月30日、金正恩氏は文鮮明氏の命日に「世界平和連合の前総裁であった文鮮明先生の死去3年に際して、韓鶴子総裁と遺族に深甚なる哀悼の意を表す。文鮮明先生は、民族の和解と団結、国の統一と世界平和のために多くの努力を傾けた。わたしは、韓鶴子総裁と遺族が文鮮明先生の遺志を引き継いでいくことを願う」というメッセージを送ったのだ。
そもそも、対立していた文鮮明氏と金日成氏はどうして接近したのか。それは、ソ連・東欧の社会主義圏崩壊で孤立し、経済的に困窮していた金日成体制が、資金力が豊富な統一教会のマネーパワーに頼って急場をしのごうとしていたためだと言われる。一方の文鮮明氏は、「その資金力をテコに北朝鮮を抱き込み、いずれは統一朝鮮半島の盟主とならんことを夢見ていた」という見方を聞いたことがある。文鮮明氏の訪朝から3年後の94年、金日成氏はこの世を去り、指導者の地位は金正日、金正恩と受け継がれたが、北朝鮮の窮状は変わっていない。統一教会の現在の組織力は不明だが、金正恩氏としては使えそうなものは何でも利用したいという意味で命日のメッセージを送ったのかもしれない。
左右問わず幅広い人脈を築いてきた統一教会と安倍氏の関係については不明だが、裁判や国会で知られざる事実が明らかにされるかもしれない。また、解明されるべきだ。それこそが民主主義を守ることであり、なによりも凶弾に倒れた安倍晋三元総理に対する供養でもある。