ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(73)「異形のモノ」に対抗するために

日付: 2022年06月29日 00時00分

 北朝鮮で重宝され、よく使用されるワードの一つが「忠誠」だ。この二つの文字が人の命を左右する社会が北朝鮮だ。日本に来たばかりの頃、「個性」というワードに涙が出たことを思い出す。北朝鮮で無駄死にした自分の個性と、その個性のせいで死んだ人たちの顔が、走馬灯のように頭に浮かんでは消えた。
北朝鮮で命と同じ価値を持つ「忠誠」の対象となるのは、当たり前だが金氏一族だ。だがその当たり前な主人に反発して、「自己」に「忠誠」な人たちもいる。しかし、それは想像を絶する苦痛を伴うことであり、途中で心変わりするケースが普通だ。人間が苦痛に耐える力は、思ったより弱いと、私は北朝鮮で実感している。
人の感情も思考も無視、抹殺して自国民をロボットのように扱う金氏一族。彼らにすり寄って、すがりついて生きると決心した人の生き様も決して楽ではなかった。「自己」に「忠誠」しようとする人々の苦労を見て、金氏を選択した者たちだったが、彼らの中での争いは日常的に激しかった。
どの時代においても、リーダーと部下の関係が貢ぎ物=プレゼントだけで維持されているのが北朝鮮だ。ところが、そのプレゼントも豊富にあるわけではない。限られたプレゼントを奪い合う競争は熾烈だ。参加者たちは激しい争いを繰り返すうちに、何か異形なモノ、ヒトとは別なモノになっていき、そのレベルもアップしていく。

       ◆

 5坪ぐらいの家を間に挟んで、北朝鮮社会の対照的な人間たちの争いが始まった。「別モノ」たちはいい条件を持っていた。
私は北朝鮮でも有名な工業都市にいる、朝鮮労働党の第一人者を後ろ盾にしようと足を運んだ。
「市党責任秘書」と呼ばれる街の第一人者は夫の家の人脈だ。夫の祖父が1974年から95年まで毎年「祖国訪問団」で日本から北朝鮮に来た際に、この第一人者に毎回プレゼントを持ってきていた。日本から「祖国訪問団」で来る人たちは、北朝鮮にいる家族が楽に生きられるようにと、住んでいる場所の権力者たちに贈り物をしていたのだ。その中でも夫の祖父が持ってくる物がもっとも高価なこともあって、街の絶対権力者とよく酒を酌み交わしていた。しかし祖父が95年の最後の訪問の年に亡くなり、日本にいる夫の親戚からの仕送りもなくなっている現状で、変わらずに私の後ろ盾になってくれるか、自信はなかった。
とりあえず行ってお願いをしてみてダメだったら次の案を考えればいいと思い、いつも恐怖感を覚える建物に向かった。本当の銃かは不明だが、銃を持った警備員に要件を伝えた。権力と財力のオーラが全く感じられないであろう私が言うことに、警備員も警備室の上司も苦笑いしながら電話で「市党責任秘書同志に○○という家の人から面会申請です」と伝えた。通話が終わって警備員に案内され、灰色の恐ろしい建物の中に人生で初めて入った。
建物は3階建てだが、待機室と札が下がっている2階の部屋に案内された。ドンスの家の2倍ぐらいある待機室は、壁紙から灰皿まで高級感にあふれていた。待機室にいる人たちのオーラにも圧倒されて、椅子に座ることができなかった。部屋にいた人たちはドアの近くに立つやせ細っている私を、世の中で初めてのものを見るような目つきで見ていた。みんなの視線がきつくて、吸った息すら吐けなくなった。思わず待機室から出て建物の玄関に降りて、冷たい大理石の階段に座った。その冷気で頭がスッキリした。少し考えてから、私の面会より前にいる人たちが多いこともあって、ドンスの家に戻った。買い物から帰っていたキム君が「ジョン先生から先生の家にすぐ来るように言われました」と伝えてくれた。「わかった。すぐ行って来るね。少し休んでて」と言ってジョン先生の家に向かった。なぜ、私を呼んだのだろうか―緊張で思わず早足になっていた。    

(つづく)


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