ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(72)5坪ほどの家で命がけの戦いを開始

日付: 2022年06月08日 00時00分

  キム君が疲れたような低い声で「行ってきます」と言ってドアを出た。キム君の姿が見えなくなると、私は2人の友人に「ドンスの家に関する話し合いに問題が起きたときに備えて、キム君は参加しないほうがいいと思って。そしてあなたたちも、私がしようとすることに加担しなくてもいいよ」と伝えた。2人は「分かった」と言って私の手を握り、「一緒にやっていきましょう」と答えた。
「ありがとう、ごめんね」
涙があふれ出て、私は下を向いた。
私一人だったらとても怖くて、たとえドンスの頼みでも最初から諦めたかもしれなかった。決して大げさではなく「命がけのこと」に、協力してくれるジョン先生と友人らに感謝しながら、私の知り合いであるドンスの件に巻き込んでしまい申し訳ない気持ちもぬぐえなかった。
ドンスの家を狙ってる隣人たちと、何らかの利益のため彼らと手を組んだ人民班長は、まるでハイエナのようだった。しかし今のところ、彼らの方が確実に優勢だった。
ドンスの家を手に入れるのに邪魔になる私たちを排除する方法は、しごく簡単だった。私たちは何日も何時間もドンスの家に一緒にいたのだから、私たちを「反政府謀略」という罪名で告発すれば、それでゲームオーバーだった。たとえドンスの母が運よくドンスが家にいるときに帰って来たとしても、私たちとの連座制を問えばそれまで。綺麗サッパリ問題解決だった。
5坪ほどの家で私たちは、自身を含め家族や友人、知人を政治犯収容所送りにしかねない、とても危険な決断をしていた。この連座制で、北朝鮮では不条理に対する抵抗が薄れていった。むしろ権力者や財力のある人間がこのシステムを自分たちの目的を達成するために利用していた。「反政府謀略」の罪は、弁明の機会すら与えられない。まず拷問で犯してもいない罪を認めさせ、自ら死を選ぶようにする。だから、この罪名に引っかからないように日頃から気をつけていなければならない。
友人2人と私は「死体処理組」で一緒になった6年前から気が合った。自分のことで精一杯で、他人を気遣うことなど出来なくて当たり前の時代だった。それでも私たちは、知らない人の死体でも最後まで丁寧に「処理」しようと努力した。そして5人の「死体処理組」の中で、私たち3人は友人となり家族以上の信頼を寄せ合ってきた。今度のことで、私たちはもう一度信頼を確かめることとなった。自然と向き合う以外は息が詰まる北朝鮮にあって、私が人間であることに喜びや楽しみを与えてくれた2人だった。このかけがえのない友人2人を、2年後の同じ日に同じ場所で失った…。
話を戻そう。ドンスの家を狙うハイエナたちに勝たないと、ドンスの家も私たちの命もなくなる。私たちの目標は明確になったが、相変わらず勝ち目は薄かった。けれど、病気で死んでいく子どもを見舞うどころか、それをチャンスだと思っている人たちに、結果的には負けたとしても最初から諦めたくなかった。
3人で静かに知恵を絞った。ドンスの家に居座れる名分がある親戚を探すこと、敵対する人民班長の弱点を探すこと、隣人と人民班長が持っている権力より上の権力者を抱き込むこと、この三つを同時に素早く進めれば勝機はある。隣人と人民班長が、自分らに勝ち目があると安心しきっているうちに行動しなければならない。ハイエナたちの保護者より上の権力者を探し出せたとしても、大騒ぎになると財力のない私たちにはかなり不利だった。隣の家には日本からの仕送りがたくさん届いており、少なくとも私たちには勝てると余裕しゃくしゃくだった。
友人2人は人民班長の弱点を探し出すこと、私は自分たちの保護者になる権力者を探すことでまとまった。病気になっても病名も知らないまま、病院にも行けず死んでいく17歳前の子どものため、大人たちの戦いが始まった。人間であることを証明するのだ。


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