「世の中の全てには終わりがある。どんなつらさも、どんな悲しみも」
ときどきこのセリフを聞くと複雑な気持ちになる。わたしは経験から、その終わりは「死」だと思うから何の慰めにもならない。「どんなつらさも」と言うが、私が北朝鮮で得た「つらさ」は、北朝鮮を離れた今でも体の奥にしっかり居座ってる。少し暇なとき、少し楽しもうとするとき、その「つらさ」が心を、脳を刺激しはじめる。まるで「つらさ」が自分の存在を強くアピールして来るようだ。それは私の人生の楽しみを、いつでも邪魔している。
一方で、今の私の人生にある意味で充実感をくれるのも確かだ。それはほんの少しではあるけれど大事なことだ。例えば、北朝鮮の大変な水道事情を思えば、ひねれば必ず綺麗な水が出る蛇口に毎回幸せを感じる。水道事業を担う知らない人たちに毎回感謝している。その人たちが、もしかしたら私と街ですれ違ったりするかも、と思うと胸がドキドキするし、全ての人に優しくしてあげたい気持ちになる。
そして「水を大事に」を使命感として、節水する自分に満足しているのだ。このように経験してきたつらさが、私自身が社会で生きていく上で少しでも役に立つ部分があるのは確かだが、総合的に私のようなつらさを経験する人は、私で終わって欲しいという気持ちには変わりがない。しかし人間の内面の残虐さには終わりがないようだ。ウクライナの現状が、笑うことの少ない私から、さらに笑顔を奪っている。
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ドンスの現世での「つらさ」が終わる、正確には終わらせようとする瞬間に立ち会った6人。私たちがいる部屋は「地獄」そのものだった。誰も見たことも経験したこともないが、苦痛の極みとして存在する恐ろしさで満ちていた。そんな地獄が私たち6人の目の前にあって、外では地獄の鬼たちがうるさかった。
部屋はあまりにも静かだった。夜になると大きく聞こえる外の音が、昼なのに同じようにはっきりと聞こえた。外の鬼たちが出す音で集中できなかった。手袋をして隙間がないようにぎゅっと両耳を塞いだ。そしてドンスの心を読み取ろうと、じっと彼の顔をみつめた。普段は信じていないはずの神にすがった。
「どうか、私の霊とドンスの霊を会わせてください」
頭の中はどんどん真っ白になっていった。耳をふさいでいた手を下ろして、いつものように現実を直視しようと決めた。みんなに「お願いします。相談させてください」と切り出した。
みんなが止めた息を吐きながら、ドンスから私に視線を移した。私の目には涙がいっぱい溜まっていた。みんなの姿がよく見えないから、目を一回閉じて涙を落とした。その涙の滴が銃のたまのように私の胸に刺さり、一瞬大きな痛みを感じた。息をふうと吐いてから「無駄かもしれませんが、みんなの考えを聞かせてくださいませんか。すみません」と言った。彼らに重い負担をかけることになると知りながら、それでもすがりたかった。
ジョン先生が「すみませんと言わないで。みんなで話し合うのがいいと思う」と言った。みんなはジョン先生の意見にうなずいた。ドンスが私に頼んだことを書いたノートと、ドンスの身体の現状を分析した。みんな自分の身内のことのように真剣で丁寧だった。
酷い社会は人々にも酷いことを選択させる。北朝鮮にも、その社会を楽に生きるため酷い道を選ぶ人はいる。いや、少数ではない。多くの人が自らの美を汚し楽な道を選ぶのを見てきた。
そんな「一般的な選択」を選ばない人たちがドンスの家にいた。私たちはドンスに対して、人間として、大人としての権利と義務を果たそうとしていた。そこには利害関係や損得勘定などは存在しなかった。乏しい環境で日々暮らしているはずの彼らが、胸がいっぱいになるほどの幸せをくれた。全身が感覚障害に陥っているドンスも、今は幸せを感じていると私は確信した。部屋の中の全員が美男美女に見えた。
(つづく)