一九一二年四月一五日、英国から米ニューヨークに向けて処女航海に出た豪華客船「タイタニック号」が沈没し、約一五〇〇人の犠牲者を出すという海難事故が発生した。
史上最も有名な悲劇が生まれた同日、韓半島史上、希に見る悪名高い独裁者がこの世に生を受けた。故金日成主席だ。北韓は四月一五日、金日成氏の生誕記念日「太陽節」一一〇周年を迎えた。金日成は「建国の父」だけでなく「民族の太陽」と崇められていることから「太陽節」は最も重要な記念日とされている。金日成氏が韓半島北部に構築した社会主義独裁体制は息子の金正日、そして孫の金正恩と引き継がれ、奇妙な三代世襲体制となった。憲法では、金日成を始祖とする「白頭の血統」こそが北韓を率いる、すなわち世襲体制を正当化している。太陽節は、独裁体制を誇示するものに過ぎない。裏返せば独裁国家が依然として維持されていることを示す行事でもあり、毎年うんざりした思いで太陽節を見ている方が大半だろう。
北韓独裁体制は、国民の生活を顧みず核ミサイルをはじめとする最先端の軍事力開発に邁進する。個人崇拝を強要し、嘘八百を並び立てた「偉人伝説」で洗脳しようとする。もちろん、北韓の庶民も北韓のプロパガンダに疑問をもっているが、金日成氏が建国以来、築き上げた長年の徹底した思想統制と監視権力によって、異を唱えられない。
今年、二〇二二年の太陽節は一一〇周年という節目でもあり、記念日にあわせて大規模な軍事パレードや核実験、または長距離弾道ミサイル(ICBM)の発射実験を行うのではと見られていたが、蓋を開けてみれば、一五日に市民パレード、一六日には金正恩氏立ち会いの下、弾道ミサイルと見られる「新型戦術誘導兵器の試射」を実施しただけだった。やはりという見方もあるだろうが、筆者としては予想よりも「おとなしかった」という印象だ。今年は、金正恩総書記が朝鮮労働党トップ(一〇年前の役職名は第一書記)に就任して一〇周年ということから「よりインパクトのある行動に出るのでは」と見ていただけに、やや肩透かしの感は否めない。よくメディアは記念日当日の「核実験やミサイル発射などの威嚇を警戒」や「ミサイル発射のXデーは記念日」などと伝えるが、これは正確ではない。金正恩体制が記念日当日にミサイルを発射したのは一六年四月一五日のムスダン発射(失敗)と一六年九月九日(建国記念日)の第四次核実験の2回のみ。今回の弾道ミサイル発射は一六日だ。記念日前後の威嚇はありうるが、軍事パレードなどはともかく、「記念日当日」のミサイル発射や核実験などは異例だということだ。筆者のような北韓ウオッチャーは、大小様々なイベントを通じて金正恩体制を検証・分析するだけに、「記念日が近づく北韓の思惑とは真逆」の意味でテンションが高くなる。不謹慎は百も承知だが「ウオッチャーの性」ということで、お許しいただきたい。
高英起(コ・ヨンギ)
在日2世で、北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。著書に『北朝鮮ポップスの世界』『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』など。YouTube高英起チャンネルでも情報発信中!