朴正熙大統領を補佐して重化学工業立国を設計した呉源哲・大統領経済2首席補佐官が、圧縮成長を可能にした朴大統領のリーダーシップについて解説した証言は貴重なので、呉補佐官の自叙伝にある該当部分を引き続き引用する。
<この経済原理は、国家元首である朴大統領が直接すべき課題であり、青瓦台秘書陣が補佐することになる。朴大統領の任期18年間、導出されたこの経済原理から一歩も離脱したことがない。それで国民も信じて従ったのだ。原理が通る時代だったという意味だ。
1・数値をもって原理を提示
原理や国是という言葉は、間違って使えば、政治スローガン化されやすい。ある政治家が「わが国が豊かに暮らすためには輸出をしなければならない」と言い続けても、これは政治スローガンで終わるという意味だ。これを避けるためにはビジョンの形で提示せねばならないが、その構想が良いか悪いかによって勝敗が左右される。それで構想を効果的に提示することこそ、国家元首の重要な仕事になるのだ。
朴大統領は主に数値化する方式を使った。数値で表せば、国民が分かりやすい。目標が達成されたときのレベルを現在と比較でき、進行過程も数量的に判断できるからだ。
朴大統領は「輸出第一主義時代(1964~70年)」には10億ドルの輸出目標を提示し、年間40%の輸出増加率を要求した。この目標が達成されれば、麦飯を食べようと国民の生活苦は解決されると言った。また、経済自立の基礎ができると言った。「全産業の輸出化時代(73~80年)」には、100億ドルの輸出目標と年間40%の輸出増加率を指示した。この目標達成で、国民一人当たりのGNPは1000ドルになり、国民の衣食住問題は完全に解決、わが国は重化学工業国家になると言った。北韓との経済戦で完勝するとも言った。
そして「やればできる。われわれもやれる」と、政府を督励し、国民を励ました。これが朴大統領の国家経済建設戦略だった。その結果、年間輸出増加率は64~70年間は41・9%、71~79年間は39・8%を達成した。16年間、平均40%の輸出成長は奇跡の成果だ。
これは朴大統領の性情、つまり「信念、執念、そして固執」をよく表す結果だ。輸出が増大すると、その効果は全産業に波及し、雇用も急激に増えた。国民の暮らしも良くなった。わが国で産業革命が起きたのだ。また、精神面では「やればできる。われわれもやれる」という勇気と自信を植え付ける生きた教育の場にもなり、この精神は今も生き残って韓国人の精神的支柱となっている。
2・原則の樹立
行政面では政策樹立段階と言える。国家戦略を遂行するためには様々な方案があるが、わが国の現実的で最も合理的かつ実行可能な方案を樹立する段階だ。石油化学・総合製鉄建設計画、自動車工業育成方案、電子工業育成方案、長期輸出計画、農漁村に電気供給方案などがここに含まれる。該当部署で作成されるが、国家元首である大統領の裁可を得て確定する。
その際、ブリーフィング方式が活用される。国務総理や各部長官、関係機関長などが配席し、ブリーフィングは該当課題に対し最も知識の多い公務員が担当する。普通は局長級が行うが、課長級でもその分野の権威者ならブリーフィングを行う。課長級でも国家大事に対して政策を樹立して大統領に説明し、質問に答えろという意味だ。>
(つづく)