大韓民国建国史271

資源と人材を効率的に動員、管理した朴大統領
日付: 2022年04月05日 11時56分

 朴正煕大統領は共産主義と体制競争おいて勝利するためにも、工業化戦略も熟考を重ねて段階的に推進していった。工場を一つ造っても関連産業に及ぼす複合的波及効果を考慮した。朴大統領はこのため、現場を巡視するときや各種報告を受ける機会に優秀な官僚を注目し抜擢した。 
朴大統領は工場や土木建設の現場、あるいは武器開発の現場に直接出向いて、技術者たちと一問一答を行い討論もしながら科学技術知識を広げていった。技術者たちは概ね所信が強いため、大統領の前で互いに説戦を展開し、大統領にも反論を躊躇しなかった。朴大統領は、現場の専門家たちの反論を気にせず、最後まで傾聴する姿を取っていたという。
第2次経済開発5カ年計画に、石油化学工業建設を入れねばならないと思った、商工部企画管理室長の呉源哲は、大統領の1965年の年頭巡視のため報告書を作って待った。難解な技術用語が多い報告を聞く大統領を見て、勇気を得た。彼は南・北韓比較項目に力を入れた。 
「北韓では、肥料、ビナロン繊維など、すべての化学および繊維製品を、石炭を原料として生産しています。電気をたくさん消費し、生産費が多くかかるため他の国ではすでに廃棄した工法です。わが国で石油化学工業が完成すれば、軽工業分野では韓国が断然優位に立つことができます」 
気分が良くなった朴大統領は、即席で「石油化学工業企画団」を構成して準備作業を進めるよう指示した。
後に国家産業団地となる蔚山石油化学工業団地はこのように作られた。実際、韓国の産業化の始まりは肥料工場を建設することから始まった。これがまさに石油化学産業の胎動だった。
解放後、韓国に最も必要なものは食糧を増産し、果物や野菜生産に絶対に必要な窒素肥料だった。それで建設したのが、米国の援助を得て建てた忠州肥料工場だ。この肥料工場が韓国の化学工業の始まりだった。化学工場の建設と運営は、関連製品の生産だけでなく、関連産業への波及効果が非常に大きかった。
近代化した忠州肥料工場が稼働し、初めて韓国で工場の運営技術が蓄積され、巨大装置と設備のメンテナンス、自動化設備、工場建設の経験などが他産業に拡散した。そして忠州肥料に続き、大規模の肥料工場が相次いで建設され、化学産業の底辺は急速に拡大した。 
以後、化学肥料事業は南海化学だけが残り、他はなくなったが、化学肥料工場で働いていた多くの人材が、石油化学産業を起こして発展させる重要な役割を担った。彼らは60年代に蔚山石油化学団地が造成されたとき、多くの工場建設を支援し、70年代には重化学工業の核心事業として麗水石油化学団地に入ることになる湖南エチレンや湖南石油化学を建設する主役となった。
第1次経済開発5カ年計画の核心事業として着手した蔚山工業センターは、石油化学の重要性を認知した政府の主導の下、化学繊維をはじめ、化学工業の原料を国産化するという目標で、第2次経済開発5カ年計画によって67年7月、地域拡張公告を通じて石油化学工業団地として選定された。
蔚山精油工場が拡張され、段階別調査を経てナフサ分解工場を中心に13の工場建設を確定、68年3月22日、蔚山で蔚山石油化学団地合同起工式が行われた。一括生産体系が整えられ、コストの削減と廃棄物を経済的に処理できるように計画された。
(つづく)


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