ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(67)ドンスとの別れの時

日付: 2022年03月11日 12時22分

 前回の原稿を書いている時点では、現在のウクライナ情勢などは想像もできなかった。私には戦火の原因は分からない。しかしこの寒い中でウクライナの人々が逃げ惑っているのは、みんなの責任だ。彼らを家に帰らせるために、私たちは何かをしないといけないと思う。寒さにこごえているとき、より大きく恐怖を感じることは経験から知っている。ウクライナ避難民のニュースが報道されている中で行われている、知性も人間性も感じられない韓国の大統領選挙は、酷いものだとしか言いようがない。

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 キム君がジョン先生を迎えに出た後、私はドンスの側で彼の左手を握った。ドンスの左手が少し反応した。そのかすかな動きが嬉しくて、もう少し力を入れて握り返し、彼の顔を見つめた。痛みの具合によってドンスの顔はいろいろに変化したが、今は穏やかで薄い微笑みも口元にあった。そのドンスの表情を見て、まるで硬い石を飲み込んだように私に重くのしかかっていた苦しみが消え、息が楽になった。ドンスの左手の甲に「海(韓国語でパダ)」の2文字をゆっくり、間隔を開けて繰り返し書いた。「海、海、海」と。
ドンスは文字を理解したようで、私の左手を握り返してきた。私は両手をドンスの頬にのせた。マッサージするようにさすりたかったが、顔の傷にアヘンを塗ったところに紙をかぶせていたので、軽く手をのせたまま、次は彼の胸のあたりに手を静かに置いた。布団の上からだから、私の手の感触を感じているかわからなかったが「短い人生―暗く細く大変な人生だったけれど、あなたは最善を尽くしてきたわ」と私は呟いた。
人間の肉体も内面の感情も、意識も霊的なことまで支配しコントロールする北朝鮮で、人間としての恥を知らない幹部の父と、何のためにドンスを産んだか分からない(私にはいつも謎の人間だった)美貌の母を両親に生まれてきたドンス。静かで陰陰とした部屋で私とドンス、二人だけでゆっくり穏やかにお別れをしたかった。不思議と涙は出なかった。野原に立っていても息が詰まるようなこの国で、人間社会の茨の道をドンスは真面目に強く生きてきたのだ。
ところが、落ち着いて別れを悼む間もなく、ドンスはまた激痛に襲われた。北朝鮮での絶対的な禁句は、口にしただけで命の保証がない「神様」という言葉だ。死にたいと思う辛さから助けを求めても何もしてくれない神様、私には何の意味もない神様だけれど、その瞬間、私は思わず叫んだ。「神様、神様、せめて最期はドンスを痛みから解放してください。何の罪もなく、まだ子どもです。神様、お願いです!」と、まさに全身全霊をかけて願った。正確に言うと、せびった。それでも神様は当然、何ひとつ助けてなどくれなかった。
激痛から痙攣を起こしているドンスの体を安定させるのに必死になっていると、埋葬場所を探しに行った「葬義班(これは表面的な呼び方で、死体処理班と言った)」の女性2人が家に入って来たので「早く、早く」と助けを求めた。彼女らも一緒にドンスの手足を押さえてくれた。痙攣しているときのドンスの力はすごかった。やがてドンスは意識を失って、体の痙攣も止まった。私の口からは、フウッというため息だけがもれた。それから、おもむろに葬儀班の二人に挨拶をした。「ごめんなさい。外は寒かったでしょう」
自分でも変な挨拶だと思いながら、台所に行ってお湯をついだ茶碗を二つ持ってきて、彼女らに渡した。二人が空腹であることはよくわかっていたが、食べものがないのであえて言及しなかった。礼儀にかまう余裕はなかった。こういったことに私たちは慣れていた。もちろん、二人とも理解していた。
私は埋葬場所について何も言及しなかった。そんな私を二人はいぶかしげに見ていたが、「墓の準備はできました。だけど深さを確保するのは無理なので…」と説明を始めた。私は「お疲れさま」と、彼女らの話を遮った。何もかもうつろだった。「大丈夫」という言葉だけが口から出た。(つづく)


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