病院に出勤している時より病院外での仕事が多いジョン先生だ。往診は夏と冬が特に多い。その忙しい中、モルヒネ1本を手に入れ走って来たようで、息を弾ませていた。そんなジョン先生の様子を見て、私はドンスの病状が深刻なのだと理解した。
ジョン先生は往診かばんの中から注射器が入ってるステンレスボックスとアンプル一本を取り出すと、ドンスの頭上にある机の上に置いた。小さい注射器ボックスから出る冷気に、私は一瞬体をすくめた。しばらくボックスを見つめてから、ジョン先生に視線を移した。ジョン先生にお礼を言おうと考えていたのだが、私の口からは違う言葉が出た。
「ドンスの病名はなんですか。栄養失調による皮膚炎かと思いましたが他の人と違う気がして」
死が目の前にある。今それを知ってなんの意味があるのかと思ったかもしれないが、私は病名を知ることでドンスを助けられる、死なせないですむ気がしたし、少なくとも激痛を和らげられると思った。それは、ただの願望でしかないのだが。
目も見えない、耳も聞こえない、話すこともできないドンスが人の声とは思えない音を出しながら全身をねじり、その後に気絶するのを見るのが耐えられなくなっていたのだ。自分の苦しみを減らしたかった。
ドンスを病院に連れて行き、検査をして病名を確認しないといけないが、一般人は病院に行っても受付してもらえなかった。受付してもらっても、病院はほとんど停電している状態で、機材は全部止まっていた。夫に頼んで電気を検査時だけ入れてもらっても、正常稼働は期待できない状況で、医師たちは設備に依存していなかった。
検査薬もないから医師の経験と知識から診断するしかなく、処方箋をもらって医学と何のつながりもない薬販売者のところに行くのが普通だ。それも、お金があるときに限られる。
一般人は病院に行かないで「咳止めをください」「解熱の薬を下さい」など、自分で判断して薬を買って飲むのだ。薬の販売者も、「下痢薬」「咳止め」と書いてある包みの中から薬を取り出すだけで、飲み方や注意事項の説明があるわけではない。薬を買った人が自己責任で使うのだ。
権力とお金がある人が病気になると、安全部(警察署)に行って旅行証明書を賄賂で手に入れ、平壌に行く。薬を買えない人と、処方してもらった薬が信用できない人は、占い師のところへ行って厄払いをするか、アヘンを使う。
北朝鮮は占い師という職業を厳罰対象の一つにしている。それでも占い師がいなくならないのは、国の事情により需要があるからだ。それでも、厄払いで病気が治ると思う人はほとんどいないだろう。彼らは、病気の苦しみから来る恐怖と寂しさを紛らわすため、話を聞いてくれる相手として占い師のところに行くのだ。
食糧事情が厳しくなると周囲の人情、家族のきずなさえもなくなっていく。医師であるジョン先生に頼れる自分は、まだ生活に余裕があって幸せな方だと思う。
眠っているか気絶しているか分からないドンスの横に、ジョン先生と私は向かい合って座っていた。互いに視線を合わせなかった。私はドンスの手と腕をマッサージしながらジョン先生の返事を待った。ジョン先生はドンスの顔に視線を当てたままで何にも話さなかった。しばらくして私はジョン先生の顔をみた。先生が返事をする気がないと分かった。
私は外に出た。家のなかの空気が重くて耐えられなかったのだ。外は寒く風も強かった。顔をあげて空を見上げた。冷たい風で涙を乾かした。視線を下ろしたら目のなかにある涙が落ちる、流れる。そうなると私はもう耐えられなくなる。
そうしているうちにジョン先生が出てきた。私は、先生の後ろ姿が見えなくなるまでじっと見つめていた。
(つづく)