在日は、自分で自分を差別している人たちです。だから日本人が全く差別しなくても差別が成立します。原因は日本語です。私はこのアプローチから在日は如何に生きるべきか、在日は如何にあるべきか、ということを考えていましたが、ほとんどの同年代の在日はそうではありませんでした。
若い頃は民団の青年会に属していました。そこで幹部と呼ばれる人たちが言っていたのは、「我々は韓民族だから韓国語を学ばなければならない。歴史を学ばなければならない。民族の誇りを取り戻さなければならない」というもので、一世が言っていたことそのままの受け売りでした。
私は、なに馬鹿なこといってんだ、と反発しました。この理屈を信じて言葉を勉強し、歴史を勉強してマスター出来る人間が一体どれだけ居るでしょうか? 怖らくほとんどの人は落ちこぼれになるでしょう。皆をアジっていた本人すらも落ちこぼれるでしょう。ほとんどの人間が落ちこぼれてしまう民族理論を、私と同年代の者たちは大まじめで信じ議論していました。私は、民族理論はほとんどの者に出来るものでなければならないと考えていました。それでほとんどの者が落ちこぼれることが分かっている理論はまともな理論ではない、と言いましたが、多勢に無勢でいつも白眼視されていました。我らかくあるべし、とアジる方が威勢がいいですからね。
さて、民族というのは、社会学的には同じ言葉を話す者を言います。もし我々が韓民族なら、すでに韓国語を知っているはずですから、学ばなければならない必然性はありません。我々は日本民族で、日本語しか知らないから学ぶべきという理屈が出て来ます。学ぶのは知らないからです。そして知らないのはすでに日本人になってしまっているからです。ところで、文化的な日本人が韓国語を学ぶ必然性は、親が韓国人だからというだけでは説明出来ません。国籍が韓国で頭が日本人の在日二世以下の者は、国籍の方を日本にするという選択肢もあるからです。これは生きると死ぬという問題と同じです。要素が二つの場合の組み合わせの問題です。パターンは四つあります。11(いちいち)国籍韓国、言葉韓国。10国籍韓国、言葉日本。01国籍日本、言葉韓国。00国籍日本、言葉日本です。ここで示した事例で言うと、在日の二世以下は10の状態です。これを変化させる場合、答えは11つまり頭の中の日本語を韓国語に置き換えるという選択肢だけではありません。また頭の中を韓国にする、というのは、言うは易く行うのはほとんど不可能です。日本語が母語と成った者が、成人してから母語を入れ替えるのは、不可能と断言してもいいでしょう。実現可能性のある変化形は00のみです。つまり国籍を日本にするのが実現可能性の面では最も合理的な選択となります。ここで再確認ですが、変化させないという選択肢もありますよ。
在日は血統の面で半島由来ですから、帰化するときに通名を選択すると家の歴史を消すことになります。それは妥当かという問題が次のステップでは出て来ます。この問題を解消するのが本名帰化です。ご先祖様を否定せず、国籍と文化が不整合な状態を解消するには本名帰化をするのが最善という結論になります。本名は国家や民族のために名乗るものではないのです。
私と対立していた青年会の幹部の主張は、韓国で生まれた韓国人にとっては正しいものです。しかし日本で生まれて母語が日本語になってしまった在日には当てはまりません。11ではなく10の状態になってしまっているのです。そして11の状態に復帰するのは不可能と来ています。じゃあ、どうするのか、思考はこのように進めるべきであると私は思います。「アボジが韓国人だから俺も韓国人」というのは、国籍に限った話です。親子の民族は既に異なっていたのです。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』『泣く女』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。