キスン便り(第51回)在日の精神構造④ 日本語は仇である

日付: 2021年12月01日 00時00分

 大学生だったある日、道を歩きながら、ふと気がつきました。韓国本国の人は自分が韓国人だからと、嘆くことはない。しかし自分は、自分が韓国人であることを嘆き、怖れている。なぜか。数歩歩いて、韓国人は韓国語で考えているが、俺は日本語で考えている、と気がつきました。俺に自己否定を強いているのは、日本語だ。諸悪の根源は日本語だ、と気がつきました。
日本語に含まれている「チョウセンは生きるに値しない」という言霊が、自分自身を否定している元凶だと知りました。勿論、そういう意識を持っていない日本人も居ます。私の頭の中の日本語は、私が生まれ育った周囲で用いられていた日本語です。最も影響力があったのは父親の日本語で、彼は六歳で日本に来て、日本の商家に丁稚奉公に出、そこでしこたま朝鮮人差別を受けました。だから父親が使う日本語は差別と偏見に満ちており、何かと言えば「東大を一番で出ても職はない」と言い、「だからチョウセン人はダメなんだ」と言っていました。東大を一番で出た者に職を与えないのは日本です。日本人が作り出した原因を無批判に受け入れて、朝鮮人が駄目な理由にする。でたらめな論理ですが、子供の頃はそんなことには気がつきません。私は自分がダメなチョウセン人であることに怯え、びくついていました。そして、そんな極限状態ともいえる状況下で日本語が根本原因だ、と思い至ったのでした。
フロイトの不安本能論には、トラウマを何度も人前で話していると、いずれは笑いながら話すようになる、という事例が幾つも書かれていました。そうやって不安神経症は克服出来るのです。これだな、と思いました。朝鮮人であることに怯えている自分は、朝鮮人であることに慣れる必要がある。そうしないと自分で自分を差別する構造を断ち切れない。
そう気が付いてから本名を使い始めましたが、それは自分の神経症を治すためであって、民族のためではありませんでした。愛国のためでもありません。日本の地で、頭の中を日本語に占領され、その日本語が持つ差別を受け入れて、自分で自分を差別する自分は、そんな精神から脱却するために、チョウセンであることに慣れるしかないと考えました。自分の精神の治療のために、私は本名を使い始めました。
そんな私を見て父親が言いました。
「どうしてわざわざ差別されるようなことをするんだ」
と。私は言っても分からんと思っていたので心の中で答えました。「差別してもらうためだよ」本名を名乗ることで本当に差別されるなら、敵と味方がはっきりします。敵とは付き合わなければ良いだけのことです。
ひょんなことからかみさんに拾われ、かみさんの無茶振りで会計士になりました。日本の名だたる企業に監査に行き、世界と闘っている人たちは国籍で相手を差別する閑などない、ということを知りました。彼らにとって重要なのは私が韓国人かどうかではなく、私が言っている理屈が妥当か否か、それだけでした。監査を終え、日本の一流大学を出た会社の幹部を前に、不備な点を報告します。それが理屈に合っている限り、彼らは「先生がおっしゃる通りなので、改善致します」と対応しました。
こうした経験から、父親が使う日本語は戦前、植民地にした朝鮮人に対する蔑視感情を持った人たちが使っていた日本語だと知りました。戦後の教育を受け、世界と闘っている人たちの日本語には、少なくとも「チョウセンは生きるに値しない」という言霊がない、ということを知りました。
在日は戦前の日本語が持つ差別意識を受け入れ、自分で自分を差別し続けている、と知りました。幽霊の、正体見たり枯れ尾花、といったところです。

 李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』『泣く女』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。


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