韓国スローフード探訪63 薬食同源は風土とともに

キムチの旨み担う曽島の天然塩
日付: 2021年11月25日 00時00分

 韓国の風物詩のひとつにキムジャンがある。冬場の野菜不足を補うために大量の白菜キムチを作るものだが、流通網が発達した現在でも、この習慣は大切にされている。キムチの味は代々、その家の女性たちに受け継がれ、キムジャンで指揮を執るのは女性たち。そして、味の決め手となるのが薬念(ヤンニョム)で、これは調味料や香味野菜、香辛料を総称したもの。薬念が発達した背景には韓国文化の基本となる陰陽五行説があり、五味五色の調和を重要視した考えが込められている。彩りや奥深い味わいだけではなく身体に与える薬効の役目もあり、ここに薬食同源と呼ばれる所以がある。薬念は一般的にネギ、生姜、ニンニク、赤唐辛子、青唐辛子、酢、醤油、砂糖、ゴマ油、こしょう、味噌、コチュジャン、ごま、塩、粉芥子、粉唐辛子などを合わせたものだが、使う材料も量も各家庭によって違いがある。
広大な塩の結晶池
 韓国を訪れることにもかなり慣れてきた2008年のこと。ソウルからの電話で「もう一度、行ってみよう」と思ったのが、塩作りの島で知られる全羅南道新安郡曽島だった。ここをはじめて訪れたのは1999年。「キムチの味を左右するのは薬念だけど、そこに使う塩によって味が違う」と光州の市場で聞き、どこの塩がいいのかを尋ねると「新安の塩に限る」と言われ、どこにあるか教えてもらうと「曽島に行くといいけど不便だよ」と。光州からは近いはずと翌日、島を目指し木浦まで行った。そこから船着場まではタクシーに乗り、フェリーで島に渡った。島に到着したのはいいが、太平塩田というハングルの案内板があるだけで特に案内所もなく、のどかな風景が広がっているだけだった。だが、何となく「大丈夫」という感覚があって、歩き出した。夏の終わりを告げるかのような青空だった。ふと遠くから「塩田へ行きますか」と声をかけられた。それも日本語である。「塩田の者だから事務所へ。この時間は暑いので塩田の作業は夕方までしないからどうぞ」と。この時は、清浄海域にある島であることや52年に創業したことなどを教えていただき、塩田のそばで塩のできる過程を説明していただいた。
海水を広大な池のようなところに引き、一定期間置いて濃度を上げ塩田へと流す。濃度の違いで塩田は分けられ、高濃度になる最終段階の塩田で塩の華が出来上がっていく。夕陽を背に塩をかく作業光景が印象的であった。
その島へ再び訪れることにしたのは島がスローシティに指定されたと聞き、あれからどうなったのかと気になった。再び島へと向かった。この時は島に1泊することにした。宿泊施設は環境保護を重視し、塩田に害が及ばないような地域に建っていた。島は春まっ盛り、菜の花が心地よさそうに咲き誇る中を歩き太平塩田の事務所へ向かうと、女性たちの笑い声が聞こえた。会社の前では太平塩田で働くおばさん達が会社で使う味噌作りを始めたところだった。「うちの塩(太平塩)を使って味噌作りをするから一緒に」と。味噌玉(メジュ)を砕きハンアリ(大きな甕)に入れていく作業に参加。手つきが悪いと笑われながら、自慢の塩を入れる時は「ちょっと舐めてみて」と塩を差し出された。「う~ん。流石、この旨み」と日本語で言うと「旨み」だよ。と、笑顔で返された。のどかな環境で作る天然塩の良さは変わっていなかったが、島の様子は少しだけ変わり塩作り体験などができるようになっていた。そして「島に橋が架かる計画があってね。車がどんどん島に入るようになったら塩に影響するから考えているところ」と、大きな問題を抱えていた。バスを優先にして自動車を規制するという提案を出していること。観光収入も魅力だが、天然塩が作れなくなると旨いキムチも作れなくなるとも話してくれた。その後、橋は予定通りに架かり便利になったが、塩作りの方法は変わることがなかった。
白菜キムチ(キムジャンキムチ)の複雑な旨みは薬念にあり、その要は天然塩が担っているように思う。

 新見寿美江 編集者。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。


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